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私を作り出す雑談な文章達

休みだったので「今日は一日物書きするぞ!」と意気込んでいた。
しかし、机に座ってパソコンを立ち上げても、一文どころか一文字も浮かばない。
気分転換に机の上を整理したけれど、何だか疲れて横になっていたら息子の下校時刻になっていた。

時刻は20時。夕飯を食べて再び机に座るも、やはり一文字も浮かばない。
YouTubeでSnowManの新曲PVを観たら幸福感は増した。でも一文字も…

色々と悪あがきをするのだけど、結果として納得いくものは書けない。

こうゆう時の対策として、他の人の文章に触れることにしている。
好きな人の文章をひたすら読む。
何も考えずに読む。

今日は先日フォロワーさんのBlueJamさんがSpotifyポットキャストの『となりの雑談』を紹介していたことを思い出して、桜林直子さんの文章を読んだ。

桜林さんの言葉には”自分を俯瞰し、考え続ける力“が散りばめられている。

自分の希望を叶えるため、自分が今より幸せに生きていくためにどうするかを彼女はひたすら考え続けていた。
シングルマザーでクッキー屋さんを成功させ、書籍を発売、今は雑談を仕事にしている。
「もっともっと良くなる」と語る彼女の言葉には冷静さの中に考え抜いた確固たる希望があった。
その言葉に触れ続けているうちに文章が書ける気がして、今パソコンの前に座っている。

最近の私の頭には“余白”がなくなっていた。

新年度に入って、更に激務になった仕事に連日満身創痍。
人事異動がある時期は新しく入ったスタッフへ仕事を伝えながら通常の仕事をするので、無意識に2つのことを考えているからかもしれない。

頭の中に余白がない状態でいると、文章を作ることができない。
それは私にとって”トイレに行きたいのに行けない“のと同じくらい辛いものだ。

辛いからより自分の文章に固執して、更に辛さにハマって抜けられなくなる。

仕事のことで埋め尽くされた頭の中を、他人の文章に触れることで”文章を取り込むスペース“を作ることができた。

日中あれほど書けないともがいていたのに、今800字を越えている。

この方法は書くことに対してだけでなく他の事にも応用できると思う。

自分の考え方に固執して動けない時、誰かの言葉を取り込むことで自分の考えを見出すことが出来る。
外の言葉に意識を向けると、案外簡単に答えが出てくる。

文章オタクな私は、周りに溢れる様々な文章に触れて自分を作っているのかもしれない。
どんな自分になりたいか、どんな人生を生きたいのか。
それを考え続けるために、私はこれからも誰かの文章を読み続けていくだろう。

そして、文章を書くために誰かの言葉に触れるというのは“読む”だけでなく“話す”だっていいと思った。
桜林直子さんが、コラムニストのジェーン・スーさんと放送している『となりの雑談』は2人の雑談という名の生き抜く言葉が詰め込まれている。

人の雑談は面白い。
誰かの気持ちを聞くことで自分の気持ちが見えてくる。

ここ数年は交友他愛もない話をすることがタブーとされてきた。

「意味もなく話せるのって心に良いよね」
ふと、友達がLINEを送ってきた。
確かに!と物凄く共感して、そこから定期的に電話やzoomで意味なく話をすることにしている。
これが本当に楽しい。
近況を報告したり、過去の話をしたり、自分が好きなことを延々とプレゼンしたり。
最後はいつも「ありがとう」を10回くらい言い合ってまたねをする。

雑談の楽しさを実感して気付いたのは、私の書くエッセイは読んでくださる人への雑談だということ。
他愛もない、特に大きな事件もない日常だけど、誰かに向けて私は”文字の雑談“を投げかけている。

私が夫との生活を書いているのも「あぁ、こうゆう夫婦もいるんだな」と誰かが気持ちを解すキッカケになればいいなと思って始めた。
自分の不幸自慢をするのではなく「私はこれで案外楽しんでいるんだよ」ということを伝えたい。
だからどんなにモラハラじみた夫でも、できるだけ面白おかしく書いてきた。
直接やり取りは出来ないか漏れないけれど、読みながら笑ってくれることを想像すると楽しくなる。

誰かが、私の投げかけた雑談を自分の中に取り込んでくれたら嬉しい。
そんな気持ちで無事1700字くらいを書き終えた。

BlueJamさんが雑談について書いていたエッセイがこの話のキッカケになっている。
読んでいない方は是非!


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