もぐられもん

趣味でショートショート、短編小説を執筆しています。たまに絵を描いたり、風景写真を撮りま…

もぐられもん

趣味でショートショート、短編小説を執筆しています。たまに絵を描いたり、風景写真を撮ります。体は朝型なのに夜の香りや夜の街が好き。北海道札幌市在住。札幌の街中で変な体勢の人がいたらそれはもぐられもんかもしれません。

マガジン

  • 短短奇譚

    • 18本

    主にショートショート、短編を書いています。 ジャンルはいろいろです。 たまにエッセイもあります。

最近の記事

[雑記] 思想のファッションショーと余談

念のため、最初に断っておくと私は特に何らかの特定の思想や宗教を信奉しておらず、自分の考えを他人にも広めようなどとは考えていない。 強いて言えば、私を含めて人間の思考は自由であり、束縛したり、抑圧する対象ではないという信念を持っているくらいである。 だから、ネット上でこうして何かを発言する以上はそれを見た誰かが反対意見を述べたり、私の価値観を否定するようなコメントを述べる可能性のあることを念頭に置いているから、それ自体にはとやかく言うつもりがない。 そのため、これは多分今

    • 【雑記】 子供が産まれてから考えていたこと

      2024年2月4日14時17分、我が待望の第一子が産まれた。 変な話に思われるかもしれないが、私が自分の子供が欲しいと最初に思ったのは小学校五年生の時だった。 経緯は忘れてしまったが、登校中だったのは覚えている。同級生のM君と遭遇し、おしゃべりをしながら歩いていた時、彼が『子供欲しい』と言い出した。理由を尋ねると、『自分とは別に自分とは違う人間が自分の一部を持って近くにいるって面白くない?」と逆に訊かれてしまった。言われてみれば確かにそれは興味をそそられるシチュエーション

      • [雑記] ハラスメントについての思惟

        「相手の嫌がることをしてはいけない」という基本的な社会規範はしかし、他者と自己の価値観が同一であることを前提としている。そしてまた、その価値観の内容は性善説に基づく。  しかもその性善説が規定する善とはさらに「人間ならば普通はこうである」という経験則と常識に基づくのであるから、統計的な傾向を示しているに過ぎない。  このため、極端な話としてよく引き合いになる「なぜ、人を殺してはいけないのか」という議論に関して言えば、「だって、あなたも殺されたら嫌でしょ」といった性善に基づ

        • [雑記] 私の文学変遷記と日本の堕落について

          その長いトンネルの入り口はなんだっただろうか。明確には思い出せない。 少なくとも小学生一年生の頃には母親に連れられて図書館で借りてきた本を読んでいた。 真新しい、新興住宅街の外れにできた背の高い空色のビル。そのモダンな市立図書館は、新築特有の匂いがいつまでもしていたのを覚えている。 子供の頃に読んださまざまの本は、今も断片的に記憶に残っているが、その中にはいくらWebで検索しても見つからないものもある。 小学校高学年にもなってくると、宮沢賢治さんや志賀直哉さん、夏目漱

        [雑記] 思想のファッションショーと余談

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          性獣説

          『性獣』と書くとやにわに穏やかではない字面だが、ここでは『性善説』や『性悪説』の別種だと思って聞いて欲しい。 そもそも性善説と性悪説についてはよく知られているから解説を必要もしないと思うが、そのような一元論あるいは二元論だけで人間を評価、分析することは困難である。 と言いつつも、会社の同僚から「あなたは性善説と性悪説のいずれが正しいと考えますか?」と質問されたからには、この問答について考えざるを得ない。 意地悪をしているつもりはないのだが、私の答えは「そのどちらでもない

          [雑記] 情熱の喪失について

          人は情熱を失った時に第一の死を迎える。 情熱とは自分自身と世界への期待と信用から生じるものである。特定の事物に対して自身が積極的にとりかかることのできる意欲、集中力は、自分と世界に対する期待から生じる。そして、その期待が裏切られることはないという信用がなければならない。 自分に期待することができず、世界に対して信用のできなくなった人は、途端に情熱を失い、無機質な感情の中、生活のために生活を送るという事態に陥る。 途端、生活は生きるための結果論に過ぎず、生きる目的を失い、

          [雑記] 情熱の喪失について

          [雑記]勉強と人生について

          なぜ、勉強をする必要があるのか。 子供にそう聞かれた時のためにも、あらためてこの問いについて考えてみた。 勉強は嫌いだという人や、勉強という言葉自体に抵抗を感じる人もいる。逆に、勉強が好きだという人もいる。 私は子供の頃、勉強は嫌いだった。理由は簡単だ。他にやりたいことや楽しいことがあったからだ。 何をしていたかといえば、友達と遊んだり、自転車で遠出したり、熱心に紙飛行機を大量に生産して飛行能力を研究したり、雪山に横穴を掘りまくって巣穴のようなかまくらを作ってみたり、

          [雑記]勉強と人生について

          随筆 『少年の日の思い出』(ヘルマン・ヘッセ)について思うところ

           ヘルマン・ヘッセの『少年の日の思い出』についてたびたび妻と議論する機会に恵まれている。その過程の中で決まって、あまりにも有名なエーミールのセリフ「そうか、そうか、つまり君はそういうやつなんだな」は否応なく話題に上る。このセリフは敏感な青少年の心に深く刺さる。妻と私もそうだ。しかし、年を経るとこのセリフについての見解は少しずつ変わった。  私がどうにも気に入らないのは、そもそもからしてこのエーミールという教員の息子は完全主義という悪徳があり、コムラサキの一件を見ても主人公の貧

          随筆 『少年の日の思い出』(ヘルマン・ヘッセ)について思うところ

          [ショートショート]ピクニック

           子供連れの四人家族がドライブをしていると綺麗な沢を見つけた。 「あなた、すごい綺麗なところよ。ちょっと寄っていきましょう」 「ん、どれどれ。確かに綺麗だな」  ゴツゴツした岩肌だらけの沢の近くに降り立つと、空気が澄んでいて心地よい川の流れが聞こえてきた。  子供達ははしゃいで、沢の近くに駆け寄る。 「おい、走り回ると危ないぞ」 二人の子供は父親が制止するのも聞かず、静かに流れる水に手を入れて「つめたい!」などと笑っている。 「せっかくだからここでご飯にしましょうか」  母親

          [ショートショート]ピクニック

          帰路

           すすきの中心から外れた二条市場にある屋根付きの横丁を出ると、たちまちに凍てつく風が頬を刺した。急いでタクシーを探そうと思ったが生憎見当たらない。  仕方なく、すすきの駅方向に歩き出す。が、停車中のタクシーのフロントには悉く緑の「予約中」の文字。とうとう、すすきの駅前のニッカウィスキーの下まで来て希望のカケラもないと知ったのと、雪の白さに染まった往来にあまりにも人通りが多く、街が賑わっているので今日が金曜日だと気づいたのは同時だった。  寒い中、順番待ちするのもいいが、すでに

          水面下の足掻き

          これは、『人の弱さ』についての記事のつづきである。 職場の後輩にM君という青年がいた。M君はわたしがこれまでに直接話したことのないタイプの人間であった。 M君は表面上ではごく普通の青年に見える。挨拶はできるし、特に業務を遂行する上でのやりとりに問題はない。ところが、話してみるといくつかのユニークな点に気付かされた。 本人曰く、「人とのコミュニケーションが苦手なんです。うまいこと面白い会話ができないというのでしょうか。言葉に詰まったり、誤解されることが多いんですよね」とい

          水面下の足掻き

          知性について

           私は、元来口下手である。今でも正確に自分の考えを話そうとすればするほどに言葉に詰まる。  変な話だが、これはおおよその人が体験したことがあるだろう。意識しすぎてうまくいかないということを。  たとえば、人前に立ってスピーチをしなきゃならないとする。別に自分の思ってることを好き勝手言って、特に何の批評も受けずに過ごせるならどうってことはない。  ところが、人前に立つからにはちゃんとした話をしようとか、何かジョークでも飛ばそうとか、ウィットに富むトークをしようだとか、考え始める

          理想の国

          暫く、執筆していなかったのでリハビリを兼ね不遜にも星新一氏の手法を真似つつ、試験的な作品を一つ。仕事内容は変わらないのに給料が良くなるなら社長は人だろうが何だろうがなんでもいいよね? 1.  大きな戦争があった。小惑星であれば消し飛ぶほどの火薬と爆薬が消費された。  最終的に世界を巻き込んだ大戦争は、西側の勝利に終わり、東側は敗北した。  二度と戦争をしてはならないと人類は学んだ。戦争は、人命の観点から言えばとてつもない損失だった。一体、その行為の為にどれほどの人々の愛や想

          人の弱さについて

          小学生の頃から、わたしは人間の生き方や他人の行動、心理に関心を抱きつつ、また抱かざるを得ないことに苦心しつつ、そのために自分の中につくられていった人間という存在について嫌気がさしていた。 なぜ、自分の捉えた人間の存在に嫌気が差していたのかは話すと長くなるので別に機会があれば寄稿することにする。 わたしが高校生の時から十年以上かけて時折、考えたり考えていなかったりを繰り返していた"人の弱さ"というものについて自分のために書き記しておこうと思う。 わたしは、自分と他人のこと

          人の弱さについて

           今からちょうど一年前、父は新千歳空港の国際便ロビーから飛び立った。  定年退職後、ようやく自宅の一軒家に腰を落ち着けたと思った半年後のことだった。  既に実家を出て一人暮らしをしていた僕は、母からのメールで事態を知った。 『お父さんは9月からカンボジアに行ってお仕事をすることになりました』  えっ、カンボジア? どうしてまたいきなりそんなことに。  次の休み、亡き祖父から譲り受けた車を走らせて実家に戻った。  夕方、家のリビングでいつものようにテーブルに新聞紙を広げてホ

          [短編] 代行サービス

          (画像・原案: しょうの / 文: もぐられもん)  世の中にはさまざまな代行サービスがあふれている。運転代行、退職代行、中には彼女代行なんてものもある。  私は今、札幌市中央区を中心に代行サービスの事業を展開しており、そこそこの業績をあげている。中でも昨今のコロナ禍の影響もあって、出前サービスの下地がなかった飲食店の出前代行はなかなかの需要があった。  こんな世の中だからあまり人様には大きな声では言えないが、それなりの財産も築くことができた。  とうとう私は元モデルのスタ

          [短編] 代行サービス