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盆と夏

「青と夏」風のタイトル。

さて唐突だが、古来、盆踊りと夏祭りとは似て非なるものであった。だが自分は昔から、町内の盆踊り大会といえば、夏祭りと似たようなものだと思っていた。会場にはもちろん踊りのためのやぐらはあるが、子供時代の自分にとっては、メインはそちらではなく屋台のほう。かき氷やらクジやら綿菓子やらが目当て。踊りもいわゆる定番のものが多く、炭坑節やらアラレちゃん音頭やらの音声テープに合わせて、よくわからないまま適当に手足を動かし、あとはすぐ友達と遊びまわるのが、自分にとっての「盆踊り」であった。実際、そのころどう踊っていたか、どんな踊りだったかについては全く覚えていない。そして中学生以降はそもそも踊りの輪に加わることもなかった。(そういう時期ですな)

結婚して、妻の地元の盆踊りに参加して驚いたのは、「ほんとに踊る」ことであった。しかも、炭坑節やアラレちゃん音頭といった既存の音源ではない。歌の担当と太鼓の担当がそれぞれ何人かいて、持ち回りで生歌唱・生演奏をするのに合わせて踊るのである。地元の人ならみんな知っているというその歌は、初めて聞いても妙に残る節回しで、踊っている間歌い続けるなんて大変だな…と思ったもののそれが当たり前に続いている雰囲気に新鮮な驚きを覚えたものだ。踊る人たちのモチベーションも高く、昔はそれこそずっと朝方まで踊ることもあったらしい。最近は時代の変化や人口の減少もありかなり変わってきたが、それでも24時近くまで実施したりする。

そして何より、あくまで「盆踊り」であり「供養」であることが自分の認識と違った。参加者はまず供養スペース(その年に地域で亡くなった人の遺影写真が並べられている)に立ち寄り、手を合わせてから踊りに向かう。ちなみに前述の歌い手だがさすがにマイクは使う。盆踊り曲専門シンガーのようなものだ。そして歌が何周かすると休憩に入り、参加者に飲み物などが配られる。昔は子供にアイスクリームなどが配られていたようだ。そしてまた休憩後から踊りが始まるのである。

そして、この盆踊りには、一切夜店のようなものがない。ひたすら踊り、休憩して、また踊るのループ。まさにオドループ(byフレデリック)である。踊り自体は盆踊りらしく特に難しいものではなく、一定の動きを回りながら繰り返す。どうもそれが盆踊りハイにつながるようで、妻の帰省は「踊りたい」が目的となっている。今年は浴衣を用意してもらっていたのもあり自分も参加したのだが、下駄を無理やり履いていたせいか足が痛み、しばらくは見学をしていた。いよいよ最後の一周、くらいになったところで息子と一緒に輪に飛び入り参加し、踊ったのだがまあ基本ボロボロの踊りではあった。リズム感がないのでダンスはだいたい苦手だ。

おおよそ10分も踊ってないし、大半あたふたしていただけだったのだが、最後の方になると多少分かってきて、ひたすら同じ動きを繰り返してると、なんか歌に乗れてるようにも思えてきて、ああ踊りハイというのはこういうことかと思ったりした。

そして何より、盆のやぐらしかない空間がまたよい。まさにここには盆の要素しかないと思わせる。浴衣の妻と娘が踊る様子を見ながら、自分の実家でもないのに妙に郷愁を感じたりした。

まあ若い子がスマホで動画見ながら踊ってたり、おっちゃんがタバコ持ったまま足だけ踊ってたりするのは時代やら地域性やら感じたが。

ふっ…今宵は日本酒でも一杯やるか(←下戸)







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