毎日新聞の思考停止
◉安倍晋三元総理大臣がテレビ番組で、核共有政策について「議論すべきだ」と発言したら、広島の被爆者の声だけを伝える毎日新聞。別に、共有すべしとかではないのに、議論さえ拒否する。そのくせ、自分たちが反対する法案などには「議論が尽くされていない」と、法案が国民の代表たる国会議員が国会で議決しても、グジグジ言う。もう、昭和の時代には通用した、安全ポジションからのイチャモン話法は、若者には見透かされているのに……。
【安倍氏の「核共有」発言は「非常に危険」 広島の被爆者が猛反発】毎日新聞
米国の核兵器を国内に配備し、日米共同で運用する「核共有」政策の導入について、安倍晋三元首相が27日のテレビ番組で「議論すべきだ」と発言したことに対し、広島の被爆者らから「非常に危険」と猛反発の声が上がった。
「あきれた。被爆者で国会議事堂を取り囲んで、『発言を取り消せ』と訴えたい」。広島県原爆被害者団体協議会の箕牧(みまき)智之理事長(79)は強く非難するとともに、「核も戦争もない日本を76年間守ってきたけれど、政治が危険な方向に進んでいる気がする。死んでも死にきれんで」と日本の先行きへの不安も口にした。
ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、新聞のモノクロ写真です。
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■思考停止の怖さ■
こういうことをやってると、それこそロシアのプーチン大統領が、戦術核を使用した時、全く議論にならなくなるんですが。ブラフかもしれませんが、プーチン大統領は戦略核の使用も匂わしているようですし。もっとも、地上波のテレビはウクライナ問題を特集することもなく、距離をおいた報道をしているようで。そりゃそうでしょう、これまでの憲法9条が阿呆陀羅経と同じだったと、バレてしまうのですから。もう、ネットではとっくにバレてるのに。
ちなみに自分は、日本は核兵器を持てないし、持ってもアメリカのコントロール下でしか使用はできない、つまりスイッチは握らせてもらえないと思っています。であるならば、モイも苦情の核保有国になるより、被爆国という政治カードを手放すのは帰ってマイナスが多いという、かなりドライな立場です。吉田茂総理が憲法九条を逆手に取って、軍事費を抑えてそのぶんを経済発展に注力したように。残念ながら、政治カードとはそういうものです。
■坂本龍一氏の定義■
ツイッターを見ていたら、こんなツイートが流れてきました。坂本龍一氏が本当にこんな発言をしたのか。最近は左寄りの発言が多すぎて、さもありなんとは思いますが。これも、少なくとも自分は賛成できない考え方です。『戦争論』を書いた軍事学者カール・フィーリプ・ゴットリープ・フォン・クラウゼヴィッツは「戦争は政治的手段とは異なる手段をもって継続される政治にほかならない」と定義していますし、孫子は「兵は国の大事、死生の地、存亡の道」と定義してるのですが……。
調べてみたたら、どうやら社会学者のピーター・ドラッカーの言葉を引いているようです。こちらのサイトで検証されていました。しかも、彼の『最後の四重奏』という処女作小説が出典のようで。小説を書いてた事自体が、驚きです。さらにこれ、イギリスの議員だったトニー・ベンが出典の可能性もあるようです。
こちらが、発言元の動画のようです。
上記の懸賞サイト、かなりの労作なので、ぜひお読みすることをおすすめしますm(_ _)m
■戦争は政治の延長?■
クラウゼヴィッツの言葉は、戦争は政治の延長という意味で使われます。そりゃあ、戦争なんかないほうが良いです。自分はとにかく、死にたくない人間なので。でもそれは、理念。理念と現実は違います。人類は何千年も前から、人を騙すのは悪いことだ、泥棒は悪いことだ、人殺しは悪いことだと、いい続けてきました。漢王朝を打ち立てた高祖劉邦は、「法は三章のみ」と宣言し、人を殺す者は死し、人を傷つくるもの及び盗むものは罪に抵る(法三章耳。殺人者死、傷人及盗抵罪)と宣言します。
殺人・障害・窃盗以外の方はなくすと言ったのですが。現実には、いくら禁じても殺人も障害も窃盗も詐欺も、なくなりはしません。ところが、憲法九条教の信者は、それを宣言すれば平和がやってくるという、現実と理念を履き違えたことを、平気で言います。日本古来の言霊信仰と相まって、平和平和と良い、不吉なことを口にしなければ、それが実現しないという考え方です。現実は、そうではないのに。前述のとおり、自分は戦争は嫌ですが、平和平和と唱えれば平和という考えには、与しません。
■孫子の兵法に学ぶ■
三十路を越えて、自分の経験が多少は増えてくると、やはり『孫子』の記述に、深みを感じてしまいます。「兵は国の大事、死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり」とか「兵は拙速を聞くも、未だ功の久しきを覩 ざるなり」とか、現実の自分の生活でも、思い当たることがあるわけです。例えば「勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝を求む」という言葉。これなんかまんま、大日本帝国の大本営がやらかしています。
勝利する軍隊というのは、戦う前に勝算を充分に煮詰めてから戦争を始め、負ける軍隊というのはまず戦争を起こしてしまって、泥縄的に運を天に任せて勝てたらいいなと、行き当りばったりな事をやると。日本は昭和16年の夏に、総力戦研究所で若手の若手官僚や学者を集め、日米開戦をシミュレートしてるんですね。結果は、緒戦は優位に進めても国力の差でジリ貧、最後はソ連も参戦して必敗という、恐ろしく正確なものでした。
なのに、戦争はやってみなくちゃわからない、それは敗北主義だと、朝日新聞や毎日新聞の世論に押され、ニイタカヤマノボレ1208で、破滅の道に。ヤルタで密約ができてたのに、そのソビエトに和平の仲介を頼もうとして、不可侵条約を破られて満州を襲われ、北方領土を奪われ、シベリア抑留で酷い目にあったわけで。そういう政治的な無能を見るに、孫子の慧眼が実に輝きます。最古にして最高の兵法書、と呼ばれるのも宜なるかな。
■戦わずして勝つ■
孫子は、戦争は消耗戦で、たとえ買ってもダメージが大きい、だから戦わずして勝つのが最高だと、2500年以上前に定義しています。でも、それが理想だから、軍備を持たなくても良い、なんて福島瑞穂社民党党首が言うようなお花畑平和論は、口にしないわけで。戦争という手段を放棄しては、飛車角抜きで戦うようなものですし。そもそも今回のウクライナ侵攻、ウクライナ与し易しとプーチン大統領が、敵を舐めたことが原因のようですから。
孫子曰く、凡そ用兵の法は、国を全うするを上と為し、国を破るはこれに次ぐ。軍を全うするを上と為し、軍を破るはこれに次ぐ。旅を全うするを上と為し、旅を破るはこれに次ぐ。卒を全うするを上と為し、卒を破るはこれに次ぐ。伍を全うするを上と為し、伍を破るはこれに次ぐ。是の故に百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずれて人の兵を屈するは善の善なる者なり。
実際に攻め込んでみたら、コメディアン上がりとバカにしていたゼレンスキー大統領は、胆力を見せつけ国民を鼓舞し。市民はロシアの酷さを知ってるので女性も銃を取り、徹底抗戦の構え。首都制圧・マスコミ制圧・大統領拘束で簡単に片がつくと思っていたロシア軍は、ウクライナ軍に背後に回られて補給を分断され、また兵士の士気は低く。まさに、「勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝を求む」の愚を、繰り返しそうです。
戦前はイケイケドンドン皇軍無敵と書いてた住井すゑが、戦後はくるりんと手のひらを返したように。プーチン大統領が戦術核どころか戦略核を使いだしたら、反戦平和のお花畑論者ほど、核武装論を口走りそうな気がします。坂本弁護士一家失踪事件(当時)が起きたら、証拠もないうちから犯人はオウムに違いないから別件逮捕して泥を吐かせろ(大意)と口走った、人権は弁護士がいましたが。ああなっちゃうんですよ。今は、社会民主党という泡沫政党の党首ですけどね。
どっとはらい( ´ ▽ ` )ノ