見出し画像

ストロング小林さん死去

◉昭和の時代を彩った名レスラーが、またひとり。ストロング小林さん、自分にはどっちかと言えばストロング金剛の名前で活躍されていた時代の印象が強いです。なにしろ、昭和の巌流島と呼ばれた対アントニオ猪木戦が1974年、まだ幼稚園生で記憶が無いですから。なにしろ中学生になってようやく、伝説の首で支えるジャーマンスープレックスホールドに、感動したぐらいです。

【ストロング小林さん死去 74年にアントニオ猪木と「昭和の巌流島」の名勝負】東京スポーツ

 アントニオ猪木氏と「昭和の巌流島」と呼ばれる名勝負を繰り広げたことで知られる元プロレスラーのストロング小林こと小林省三さんが死去していたことが分かった。81歳だった。
 近しい関係者によれば小林さんは2日の朝に都内の病院で亡くなった。死因は不明だという。
(中略)
 74年2月には国際プロレスを退団し、一時的に東京スポーツ新聞社の所属レスラーとなった。同年3月に新日本プロレス蔵前国技館で猪木の持つNWF世界ヘビー級王座に挑戦。ジャーマンスープレックスで敗れたが、当時としては異例の日本人選手同士・団体エース同士のタイトルマッチは高い注目を集め「昭和の巌流島」と呼ばれた。

ヘッダーの写真はnoteのフォトギャラリーより。選手のいないリングは、寂しいですね。

◉…▲▼▲▽△▽▲▼▲▽△▽▲▼▲…◉

小学生だった子供の頃は、アントニオ猪木さんとあまり見分けがつかなかったなぁ……という想いで。ストロング小林さんの方が、体重は一回り大きいんですが。実際の身長はほぼ同じでしたからね。また選手としては、1981年の試合を最後に、半引退状態。1982年には映画『伊賀忍法帖』の金剛坊という役名から、ストロング金剛に改名。タイガーマスクブームに沸く時代でしたから、コチラの印象が強いのです。1984年に正式にプロレスは引退。


日本人離れしたパワーファイターでしたから、本名とは言え小林はちょっともったいないリングネームでしたね。なので、ストロング金剛の芸名は、金剛力士像の如きレスラーとしては、合っていました。デビューも覆面太郎というマスクマンで、どうにもリングネームに恵まれない印象ですね。馬場さんや猪木さんのように、珍しい部類の名字で、動物が入ってると印象も違うのでしょうけれど。

これは、国際プロレス全体の傾向ですね。小林、木村、井上、原、浜口……普通の名字と字面が多い印象です。2003年からはまたストロング小林に戻したようですが。自分の下の世代だと、バイオマンとか風雲!たけし城のイメージが強いでしょう。若い頃の故障やケガで、晩年は寝たきりだったようですが。国際プロレス軍団が新日本に登場したとき、マネージャー役などでもうちょっと、使いどころもあった気がするのですが。

ストロング小林さんの御冥福をお祈りします。合掌

いいなと思ったら応援しよう!

喜多野土竜
売文業者に投げ銭をしてみたい方は、ぜひどうぞ( ´ ▽ ` )ノ