六代目三遊亭圓生の行方
◉去年の記事ですが。長らく空位になっている、三遊派の止め名である三遊亭圓生の名跡を、元楽太郎の三遊亭圓楽師匠が、襲名したい旨名乗りをあげたようです。これ自体はたぶん、楽太郎師匠なりの次世代を睨んだ動きでしょうね。こう言ってはなんですが、そもそも圓楽の名跡さえ継ぐ意味は、人気者で知名度十分の楽太郎師匠には薄かったですから。自分で名前を大きくした人が、由緒ある名跡を継ぐ。次世代の名跡を継ぐ人間への配慮でしょう。
ヘッダーの写真はnoteのフォトギャラリーより。落語の扇子ですね。符牒(業界の隠語)では風と呼ぶそうですが。
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■名跡が継承されない問題■
落語家には、三遊亭とか古今亭とか金原亭など、亭号と呼ばれる一門の名前があります。最初の商業落語家とされる三笑亭可楽など、師匠の名前(名跡)を優れた弟子などが襲名して、台数を重ねるのが常。各一門には、名跡の大きさにもランキングがあり、林家なら小さんや正蔵、桂なら文治や三木助、三遊亭なら圓生など、止め名と呼ばれる、一門の総帥や最高実力者が継ぐべき名跡がありますから。
例えば、昭和の名人である古今亭志ん生の名跡は、息子でこれまた名人であった金原亭馬生師匠も、古今亭志ん朝師匠も、継ぎませんでした。その結果、もうほとんど誰も継げなくなってしまいました。実子で、おそらく誰も文句を言わなかったであろう名人が、つかなかったのですから。他の人間が継ごうものなら、まだ志ん生の記憶を持っている古参のファンもいるのですから。誰が襲名してもボロクソ言われるだけ。
■未来の落語界を思うがゆえ■
これは上方落語の大名席でもある、笑福亭松鶴も同じですが。先代があまりにも破天荒かつ、すごい芸人でしたから。しかも、七代目襲名問題で一門が揉め、七代目を襲名予定だった笑福亭松葉師匠が、襲名の披露目直前に亡くなるという不幸まで重なり。あまりにも偉大な師匠であったために直弟子はもう、誰も襲名しないでしょう。笑福亭仁鶴師匠ならば、反対は無かったでしょう。孫弟子の世代で、誰かが襲名するかもしれませんが。
自分の名前を大きく育てたいという野望を持つ若手落語家の意気は買うのですが。そうなると、名跡が途絶えてしまいがち。楽太郎師匠が圓楽や圓生を継承することで、次世代の人間が襲名しやすくなりますからね。七十歳を超え、癌も見つかった楽太郎師匠としては、自分たちの世代がいなくなった後の円楽党を、百年先までも残すことが使命と思われているでしょうし。
■落語会の孤児となった一門■
先代の五代目三遊亭圓生が亡くなった時、自分はまだ小学生でしたから。落語協会の分裂騒動などは、まったく理解できていませんでした。笑点は好きでしたが、落語自体にはそれほど興味はありませんでしたからね。魔夜峰央先生の『パタリロ!』で、落語ネタがちょいちょい出てきて、それで興味を持った感じでしたから。中学校になって、オールナイトニッポンを聞くようになり、笑福亭鶴光師匠のファンに。
大学入学で上京して、貧乏学生だったので寄席にはめったに行けませんでしたが。そういう意味では、社会人になってからの方が新宿末広亭や池袋演芸場など、むしろ行くようになりましたね。そうやって、昨年亡くなられた三遊亭圓丈師匠の『御乱心』などをようやく読むようになって、落語協会最大の騒乱とも言える、協会分裂騒動の概要が分かったわけですが。その5代目三遊亭圓生の直弟子も、もうあと一人しか存命ではありませんし。
■話題になることは良いこと■
個人的には、円楽党のこういう政治的な部分は、あまり好きではありません。寄席から追放され、いつ消滅しても不思議はない状況に追い込まれたのですから、なりふりかまっていられなかったのでしょうけれど。人気番組の笑点も、司会者に回答者二人と、利権をかなり我が物にしていましたしね。今回の、三遊亭圓生襲名の動きも、円楽党による三遊亭一門の利権奪取に見えてしまいます。
ただ、その甲斐あって一門の落語家の数は増え、人材もかなり育っているように思います。極端な話、例えば三遊亭円丈師匠の一門から、我こそは六代目三遊亭圓生を継ぐという人間が出現したら、それはそれで落語会の話題にもなり、活性化にもなりますからね。楽太郎師匠自体も、勝ち負けにはこだわっておられないでしょう。伊集院光さんと二人会を開くなど、円楽党と落語界全体のために動かれているでしょうから。
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