◉上岡龍太郎さんがかつて、日本のテレビを評して「日本のメディアにはヒューマニズムがない。人間愛がない。なのに妙なセンチメンタリズムだけがあり、悲惨さを楽しもうとする」と指摘していました。人間愛がないのに、「おかわいそうに」のセンチメンタリズムがはびこり、お涙頂戴に走る。今回、イギリスのBBCやスペイン、トルコなどの報道機関がどう報じたかが、X(旧Twitter)で共有されましたが、外国法うがよほど的確に、今回の事故の背景と的確な誘導、機体構造など言及していたのがわかります。
ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、
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■センセーショナリズム■
子供が騒いだからと言って、それが何だというのか? ファミレスなどで、大声で騒ぎ子供を叱れないバカ親と同じで、むしろ恥じて、注意を促すべきこと。まぁ、本文自体は割りと客観的で、これは新聞の見出しをつける生理部という部署が、センセーショナリズムを意識して、こういうセンチメンタルな見出しを付けたのでしょう。緊急状態の中、的確に脱出路を決定し、迅速に行動した客室乗務員の的確さをこそ報じるべきで、悪者探しして煽るような記事は論外です。こちらの記事も酷いもんでした。
コミュニティノートも、転載しておきますね。
メディアの憶測とか、求めていませんから。下手な探偵ごっこも。文学青年崩れのような、下手くそな文章も。現時点で入手できる情報を、できるだけ角度をつけず、正確に報道する。それが、メディアの役割で。正義の使者なんて、求めていません。ただの民間企業なんですから。こうやって、旧メディアの見出し詐欺にコミュティノートが付き、信憑性をゴリゴリ削っていくのは良い傾向です。旧メディアも当たり前のことを、正確に、淡々と報じないと、10年以内に潰れますよ?
■素人以下の記者たち■
元朝日新聞記者の鮫島浩氏とかも、酷いもんですね。朝日新聞という組織に属していたときは、それでも社内の情報や朝日新聞の看板で一般人がアクセスできないような人や情報にも接することができたのでしょうけれども、そういう看板がなくなったら地金が出てくるようで。まぁ、独立したサラリーマンに、よくある話です。志賀原発についても、ちょっと調べればすぐ解る内容をポストし、早速ツッコミが入っています。
これに対して、そもそも志賀原発は標高11メートルの敷地校があり、それにさらに防潮壁があり、15メートル以上の超大型津波でないと無理と、冷静なツッコミが。この人ほんとに、ジャーナリストかと。公式サイトに書いてあることさえ、ろくすっぽ調べない。
こちらのポストも、志賀原発の外部電源に対する無知を晒し、たちまち詳しい人に突っ込まれるという。
これに対しても、的確なツッコミが。
新聞記者とか編集者というのは、評論家と同じで。自分自身は何も生み出せない、自称の後追いをし、それを読者や視聴者に伝える立場でしかないわけです。ある意味で、専門性のないゼネラリストですが、政治家ならともかく記者や編集者のゼネラリストは、何者にもなれなかった無能の人に堕すことがほとんどです。だからこそ、スクープという勲章がほしいわけです。あめりかだと、ピューリッツァー賞なんて目標もありますしね。でも、裏方として情報を伝える水道管に徹するべきなんです。
■社会部記者視点の陥穽■
元読売新聞勤務の、芦辺拓先生の社会部記者に対する内側からの情報は、貴重です。
プロの素人というポジションは、自分は否定しません。
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