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オデンと韓国

◉オデンと言っても、深海に住む巨大ザメではなく。それはオンデンザメ。日本のオデン、関西で言うかん東炊とだきが、韓国では大衆の味になってるんですねぇ。福岡も冬場は底冷えするので、熱々のオデンは大衆食として浸透してるのでしょう。花見とか折り紙とか剣道とかだと、韓国起源説の話題になるのですが。ほとんど聞いたことがないので、それだけ韓国では大衆食として浸透していて、スルーしちゃってるんでしょうね。

【韓国の政治家が日本をたたくその口でオデンをくわえる理由【崔さんの眼】】時事通信社

 日本が自民党総裁選の話題で持ちきりだった9月、韓国では来年3月に控える大統領選に向けた、与野党の代表候補者選出に関する話題が連日、トップニュースを飾っていた。与党の「共に民主党」は10月初旬、第1野党の「国民の力」は11月初旬にそれぞれ公式候補を決め、そこから大統領選の本格的な選挙運動が繰り広げられることになる。選挙レースが始まるちょうどその時期、初冬の韓国の街で人々の足を引き止める日本由来の食べ物がある。それは「オデン」だ。(文 ジャーナリスト・崔 碩栄)

ヘッダーの写真はnoteのフォトギャラリーより、美味しそうなオデンですね。

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■関東文化のオデン■

自分は九州の人間ですし、片田舎にはオデンの屋台なんかありませんでしたからね。東京に上京して、ガード下とかにオデンの屋台がたくさんあるのを見て、「ああ、これがど根性ガエルなどでよく出ていた、オデンの屋台かぁ」と、妙に感慨深かったものです。福岡は都会ですが、オデンより水炊きと貨物に、あるいは筑前煮の文化ですからね。完全に関東の文化の印象です。大阪でも、前述のように関東炊きというぐらいですし。

とはいえ、元は田楽から始まってるので、ルーツは関西でしょうね。昆布出汁ってのが、そもそも関西文化。調べると、江戸時代は味噌田楽が大変に江戸の庶民に好まれたようで、そこがルーツ。これが明治時代になると、東京・本郷の呑喜の主人が西洋料理のスープを真似て、汁だくで煮込む形式を生み出し、これが普及したらしいですが。関東大震災で、関西に避難した文人や料理人がいて、東西の文化が交流し、関西の具材とかも相互に取り入れたようですが。

■韓国起源説■

九州を飛び越えて関東の文化が半島にあるのは、日韓併合での文化の流入でしょうね。李氏朝鮮は、両班という支配階級が庶民から搾取する文化で、大衆文化があまり育たなかった部分があります。儒教の朱子学(宋明理学)が国教となり、職人とかを尊ばない文化が骨絡みになり、また清王朝からの搾取もひどく、貨幣経済が浸透せず、従って大衆文化もあまり発展しなかった部分も。韓国の人も、李参平や沈壽官は名を残したが、同時代の本国の陶工の名前は残っていないと指摘されていましたが。

そこに、日韓併合で江戸・明治で成熟した日本の大衆文化が流入したため、乾いた砂に水が染み込むように、日本文化を吸収してしまったため。剣道・柔道・空手・合気道などの武道、茶道・華道・盆栽・折り紙・花札・花見の趣味や遊び、納豆やのりなどの食文化まで、大衆文化が日本文化に置き換えられた部分はあるのでしょうね。戦後、反日が国是となる中、そこに折り合いをつけるために、韓国起源説が生まれた部分も。

■事大主義と民族主義■

ただ、テコンドーも松濤館流空手がベースのように、そのルーツは日本の沖縄空手。その沖縄の空手(唐手)も、大陸の福建省などから白鶴拳などがベースですしね。ルーツを誇ることは、意味がないんですが。ここに、中国の正統の概念───中華皇帝の天下の統治権は黄帝から連綿と継承されている、という考えがあるので。ルーツにこだわるんですよね。でも、自分などはカルフォルニアロールを初めて食って、酢飯とアボカドがこんなに合うとは、アメリカでないと生まれなかっただろうと思いますしね。

ルーツへの敬意と、自分たちが独自進化させた部分を、誇ればいいと思うんですけどね。テコンドーも、ルーツは松濤館流でも、蹴り技に独自の進化を見せて五輪種目になったわけですから。オデンは、あまりに浸透して誰もそれを問題視しないという、現実があるのですから。もっとも、事大主義でいかに中国に近いかが価値だった李氏朝鮮の民に、民族自立・民族自決の民族主義を教えたのもまた、日本という逆説があります。聖徳太子の時代から、日本の独立志向は強固にありますから。

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喜多野土竜
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