朝日新聞の朝鮮人追悼碑撤去批判社説
◉朝日新聞も、経営陣は右旋回したいのに、現場の方に引きずられて、迷走状態に向かいつつありますね。社説でわざわざ、群馬県の朝鮮人追悼碑撤去問題について御高説を述べておられますが、ハッキリ言っていつもの情報を取捨選択して、議論の前提を歪ませる手法です。そもそも、話し合いで何ともならなかったから裁判に至り、撤去に至ったんですから。
ヘッダーはWikipediaのフォトギャラリーより、慰安婦少女像です。
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■裏切ったのは誰?■
朝日新聞は上から目線で、「山本知事は「公益に反する状況が続いている。一日も早く正さなくてはいけない」というが、損なわれている公益とは何か。碑が県民にどんな不利益をもたらしているのか。納得できる説明はない。」とお気持ちを書きますが、重要な部分が抜けていますね。政治的な活動はしないという約束を破った、それ以上の納得できる理由はないですね。
はい、終了。朝日新聞が都合の悪い部分を隠して報道し、納得いかないとか社説で書いても。シランガナ、で終わりです。朝鮮総連の幹部をこんなことをやってて、とぼけるのもたいがいにしなさいです。ドラマ版『セクシー田中さん』で、当初の約束を反故にした日本テレビのプロデューサーと同じです。嘘をついた側のやったモン勝ち、やり得を許しては、秩序は保てません。
■信義遵守こそ公益■
そもそも、そういう政治活動をする危険性があったからこそ、事前に約束があったわけで。建ててしまえばこっちのもので、正にやり得。というか、この手法 って、韓国ではよく聞く話だそうですけどね。芸能人に正式オファーする前にかってに宣伝広告打って、今さら撤回すると首を括らにゃならんと、泣き落としや恫喝で、事後承諾に持ち込む。
そうやって 前例を作って無し崩しにする。法令とかも、例外を1つでも認めると、あれも例外これも例外と、骨抜きにしてしまう。韓国が……いや半島の文化が人治主義と言われる由縁。悪しき前例にしないように、断固として撤去すべきでしょう。嘘をついたらペナルティーがある。子どもの教育上でも、これ以上の公益がどこにあるのでしょうか?
群馬県知事の選択は、当たり前です。朝日新聞は、沖縄県の玉城デニー 知事に関しては、福岡高裁の代執行の判決不服にも、好意的ですが。最高裁の判決が出た以上、それに従うのが当然でしょう。もちろん従った上で、異議申し立てを続けることは、これまた 言論の自由です。ただし、言論の自由には責任も伴います。嘘をついた、約束を破ったという事実を隠しては、無責任な放言。
■政治的活動を連発■
この件に関して言えば、肥モンさんの指摘が正鵠でしょう。追悼碑を建てる会と、追悼碑を守る会で、やろうとしていることが乖離してしまっているのですから。日韓友好目的と言ってきたので、疑念はありつつも許可したら、やっぱり反日活動や政治活動に利用し、「朝鮮学校の無償化除外を批判する発言をなしているのです。」とのこと。
馬鹿にするのもいい加減にしろ、と怒る人が出て当然ですね。ヤクザはまず、身内から食い物にすると言いますが。どうにも韓国も北朝鮮も、自分たちにとって有効的・親和的な人の面子を潰して、目先の勝利を得ようとすると言いますか。裁判に勝って世論の反発を招く、人権派弁護士たちのようなものですね。「ひょっとしたら日本は韓国・朝鮮人より下であるから尽くすのは当然とでも考えているのでしょうか。」と疑われても仕方がないです。
■いつもの人が集結■
そして撤去に反対しているのが、朝日新聞を含めて、いつもの人たちなので。政治活動はダメだと事前に釘を刺されているのに、それで撤去という最高裁判決まで出たのに、いつもの人たちが悪目立ちするので、やはり撤去で正解だったんだなと、ますます白眼視される悪循環。武蔵野市長選挙や八王子市長選挙と同じ、逆神に。ナザレンコ・アンドリー氏も、苦言を呈していますが。
まぁ、山本太郎議員のカレー食いパフォーマンスと同じで、撤去反対は口実で、自己アピールのためでしょうけれど。辺野古基地移転反対のパートタイム座り込みの仁藤夢乃Colabo代表が、参加するマイナスについて、自覚がないというか。これで、北原みのり女史や大椿裕子社民党副党首の群馬県草津町長侮辱組に、菱山南帆子さんが加われば、オールスターキャスト。
■ぼくたちの失敗?■
そういえば辺野古基地反対のパートタイム座り込みで、沖縄タイムスが興味深い情報をポストしています。『友よ』って……関ジャニ∞の曲ではなく、56年前のフォークソングって時点で、全共闘老人の同窓会だってモロわかり。夜明けは近い近い詐欺で、半世紀以上。半世紀も逃げ回っていた爆弾魔と、同じ穴の狢ですね。あなた達がサングラス越しに社会を見ていただけでしょうに。
次は『ぼくたちの失敗』を歌いますか?
この曲は1976年発売。内容自体はラブソングなのですが、あさま山荘事件や総括リンチ殺人事件が発覚し、左翼学生運動が大きく退潮した後の作品で、歌詞もそういう時代の空気を反映している面があります。中島みゆきさんが1983年のアルバム『予感』で、『誰のせいでもない雨が』を歌ったように。優れた楽曲というのは、多様な解釈の幅があるということです。
悪夢の民主党政権どころか、悪い夢のような全共闘世代。安倍晋三元総理の優しさに甘えていた弱虫と、そのシンパの朝日新聞社や沖縄タイムス社は、1981年のアルバム『臨月』の収録曲『友情』を100回聞いたほうがヨサゲです。この、県立公園内の追悼碑撤去は、戦後昭和の終焉という、時代のうねりの象徴になるような気がします。
安部元総理暗殺・岸田総理暗殺未遂で、左派は虎の尾を踏みましたね。政府ではなく、国民の。
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