フランス革命幻想の終焉
◉開会式の偏った政治主張に、エアコンもない選手村、ヴィーガン食が多く選手から不満続出の食事、誤審の数々と、すっかりダメっぷりが露わになっているパリ五輪ですが。特に、マリー・アントワネットと思しき女性の断頭演出で、旧王家からもハプスブルク家からも不快感を表明され。それでも、フランス革命の価値を言い募る人がいます。
ヘッダーはWikipediaのフォトギャラリーより、ドラクロアの『民衆を導く自由の女神』です。
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■多大すぎる犠牲者数■
もう、フランス革命幻想は崩れつつあるんですけどね。市民が勝ち取った革命というのは幻想であって。マルキ・ド・サドのような貴族や、僧侶や知識人がイデオローグの、ブルジョア革命です。それに煽られた大衆が暴徒となり、騎虎の勢いでブルボン王家を断頭台にかけた。王家を滅ぼし、代わりに煽った人たちのがそポジションを占めた訳で。市民革命がそんなに素晴らしいなら、「百姓の持ちたる国」となった加賀一向一揆も、称賛したらいかがでしょう? イロイロと現代的な目からは不備はあっても、フランス革命より200年ほども早いです。
ロベスピエールの狂気の第一共和政や、ナポレオンが皇帝となった第一帝政期があり、立憲君主制で王政復古したりナポレオンの百日天下があったり、第二共和政を経てナポレオン3世がまた帝政を敷いたりと、混乱しまくりで、自国民同氏で殺し合い。フランス革命からナポレオン戦争までの期間で、フランス人は自国人同士で150万人とも200万人とも言われる数が、殺し合っています。禁門の変から西南戦争までの戦死者数と、フランス革命からナポレオン戦争までのフランス人の死者数を比較してみると驚きます。150-200万人対3万人で、桁が2つ違って状況。相対化が無意味だとわかります。
■宗教をめぐる大混迷■
なにしろ西南戦争の両軍合わせての全戦死者数1万3200人以上の、1万6600人程度がギロチンで死んでるんですから。いかに狂気の時代だったか。一般に『ヴァンデの反乱』で知られる内戦は、カトリック信仰に篤い地域を弾圧しようとしため虐殺が行われ、その対抗で発生した農民蜂起です。こちらも諸説ありますが、ヴァンデ県の市民・反乱軍あわせて約17万人が死んでいます。これも40万人説など、諸説ありますが、宗教弾圧で西南戦争以上の死者。
今回の五輪開会式で、宗教を徹底的にコケにし、反発を呼んでいますが。フランス革命は宗教否定に走った結果、ジャコバン派のジャック・ルネ・エベールを中心とするエベール派の主導で、理性神なる新たな神を創り出し、ノートルダム大聖堂に飾り、『理性の祭典』を開いています。この理性神自体は、きわめて無神論的性格の強いもので、自分には、狂気の祭典にしか見えませんが。開会式のあの反宗教的な演出は、コレがルーツです。
■社会進化論の大ウソ■
ナポレオン三世のフランス第二帝政が終わったのも、民衆の力じゃなかったわけで。対外戦争での敗北での自滅。どうした、栄光の市民革命は? 最初の第一共和政が、騎虎の勢いであったと評する理由です。百歩譲って、フランス革命が素晴らしいなら、なんでフランスで女性の参政権は1944年の臨時政府の措置令によってようやく認められ、総選挙が実施されたのは1945年だったのか? 市民革命を経ても、社会の変化や発展は、マルクスが夢想したような必然的進化なんか、しない証拠です。
市民革命を、成熟した社会への絶対必要な切符みたいに言うのは、やめたらいかがでしょう? あんなの、ええじゃないか騒動が粛清に走ったのと同じです。ええじゃないか騒動の方が、よほど平和的ですしね。自国民同士で殺しあい過ぎて、近代化の中でフランスの人口は他国より増加が鈍化してしまい、ナポレオン三世以降は戦争にも弱くなり。ロベスピエールやナポレオン三世は、袁世凱と何が違うんだって話ですから。あそこまで美化しないと、自国民同士で殺しあった陰惨な歴史を、受け容れられないんでしょうね。
でも、やってたことはセクトの内ゲバの、超豪華版ですから。
■人権宣言は残った?■
100年前の名誉革命で、立憲君主制に移行したイギリスの方が、よほど素晴らしい。明治維新だって、少ない犠牲で・下級武士が・成し遂げた革命です。江戸城は無血開城し、徳川慶喜とその家族は処刑もされず。後に爵位さ賜っています。あと、左派は言及しませんが、国民国家=徴兵制と不可分です。徴兵制のおかげで、潤沢な兵力を持ったナポレオン軍は、連戦連勝。他国が国民国家に移行したのも、民主主義が素晴らしかったからではなく。戦争に強くなるため。フランス革命こそ、徴兵制のルーツです。そこを避けて、フランス革命を称賛しても。
現実の革命は挫折しても人権宣言は残った、ねぇ……。ならば、大日本帝国が第一次世界大戦後の、パリ講和会議の国際連盟委員会において、国際連盟規約に人種差別の撤廃を明記するべきという提案をし、否決されたが、その崇高な理念は残った、って話ですよね。さぁ、北守アカさん、褒めて褒めて。また大日本帝国の、東亜解放と大東亜共栄圏の理想は挫折したが、戦後に植民地は次々と独立を果たし理念は残って世界を変えた───なんて極右が主張したら、「そうです、フランス革命の人権宣言と同じですね!」って北守アカさん、賛同するんですか? しないでしょ。
■歴史の連続性を俯瞰■
むしろ、顔を真っ赤にして「大日本帝國の侵略のためのお題目と、フランス革命と一緒にするな」と怒り狂うでしょうに。そういう、党派性丸出しの稚拙な思考が、左派が若者に支持されず、衰退している理由では? 別に、フランス革命を称賛してもいいです。でも、光と同時に濃い影もある。それは明治維新も同じです。是々非々でいいのに、一方を全否定し、一方を全肯定し、ダブスタに走るのがおかしいと、言ってるのです。
また、GHQに与えられた民主主義と言いますが、ではアフガンでは与えられた民主主義が根づきましたか? 根付いていませんよね。日本の戦前も大正デモクラシーなどの歴史があり、それ以前に明治憲法下の議会制民主主義の歴史があり、もっと言えば鎌倉幕府から江戸幕府の合議制と惣村の合議制があり。そういう積み重ねの先に、民主主義はあるのです。聖徳太子は憲法十七条で和を以て貴しと為すと語り、明治天皇は五箇条の御誓文で万機公論に決すべしと語っています。それが歴史です。
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