創造的な人は意味の遠い単語を組み合わせるのが得意
◉これはなかなか興味深い研究ですね。いちおう、文字を書いてお金をもらう商売をしていますので、言葉と言葉の組み合わせの先に、創造性があるというのは非常に理解できますし。また、意味の遠い単語を組み合わせる部分に、ある種のセンス=才能というのは、これまた納得できます。
ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、〝言葉〟で検索したら出てきたイラストです。記事の内容にピッタリですね。
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■中島らもさんの発想法■
詳しくは、上記リンク先の全文を、ぜひお読みいただくとして。コピーライターで小説家でもあった中島らもさんが、コピーライター時代にやっていた発想法として、こんな方法を紹介されていました。A0サイズやB0サイズの大きな紙の真ん中に、コピーを作る対象の商品名などを書いて。その商品から連想する言葉を、その周囲に次々と書き込む。その連想した言葉からさらに連想した言葉を、これまた次々と書き込む。そうやって、髪にびっしりと言葉が書き込まれたら、その紙の端にある言葉をピックアップして、組み合わせコピーを作る……と。
一番遠い言葉、という記事を読んで、真っ先に思い出したのが、このエピソードでした。
着想自体は、とても興味深いですね。意外な言葉、遠い言葉の組み合わせによって、その人の想像力がイコールでつながるかといえば、少し疑問ですが。発散的思考タイプというのは、分かりやすいポイントです。私たちは集中力と言うと、何かひとつのことだけに没頭して、異常な力を発揮するタイプをイメージしがちですが。小説家や漫画家の多くは、複数のお仕事を同時並行的にこなしながら、混乱することもなく、それぞれを高い精度でこなす、マルチタスク処理タイプが多いです。そことの関連を、ちょっと感じますね。ただ、疑問もあります。
■松尾芭蕉の俗語と俳諧■
例えば、俳句の松尾芭蕉とかでも、弟子の宗次が発した「自堕落」という言葉に、「それこそ発句(俳句)だ!」と反応しています。宗次は〝じだらくに 居れば涼しき 夕べかな〟という俳句を生み出します。俳句といえば何か、花鳥風月の美的な言葉を組み合わせて、ひねり出すようなイメージがありますが。実はそうではないんですね。むしろ、卑俗な言葉が詩的な価値を持つ瞬間を、芭蕉は重視した部分があります。
芭蕉自身は「俳諧の益は俗語を正す也」と、語っているそうですが。卑俗な言葉は、芸術性とは遠いと思われている言葉に、新しい価値を与えるような俳句を、芭蕉は是としていた部分があるようです。奥の細道には「蚤虱 馬の尿する 枕もと」という俳句があります。蚤も虱も馬の尿も、およそ芸術の対象となるような言葉ではありません。ところが松尾芭蕉が俳句として並べると、旅の宿を見つけられず、馬小屋に泊めてもらった侘しさと滑稽な風景が、浮かび上がるわけです。
ただ、意味の遠い・意外な言葉を組み合わせれば、芸術表現になるかといえば、それはちょっと違うと思うんですよね。
■イリュージョンと連想■
例えば、立川談志師匠は晩年、イリュージョン理論にとらわれ、人間の思考というのは法則性もない、あっちこっちに飛んでしまうデタラメなものであるという認識を持っていましたが。自分はこの考えには少し疑問です。一見すると、全く関係のない言葉に見えても、そこに何か通定する部分があるからこそ、人間の心に届く部分があるのではないでしょうか? 前述した中島らもさんのキャッチコピーを作る手法も、元々は 商品から連想する言葉を連鎖させているわけですから、遠い言葉ではあったとしても、そこには何か通底するものが、あるはずです。
芭蕉には「高く心を悟りて、俗に帰るべし」という言葉もありますね。花鳥風月の美的なものをきちんとベースとして持ちつつ、卑俗な言葉の中にそれが持つ美的な言葉との関連性を見出し、あるいは詩的なイメージを読む者に喚起させることによって、俳句の世界を完結させているわけです。美的な言葉も卑俗な言葉も、松尾芭蕉という芸術家の美学の上にチョイスされ、コントロールされている。スイカやおしるこに少量の塩を振ることによって、さらに甘みが増すように。
酢や唐辛子ではなく塩をチョイスした時点で、その人間の美学や匙加減が、反映されており、共通点を見出されているわけです。
■手書きの重要性とは?■
この話題に関連して、こちらの科学的な話題も、紹介しておきますね。手書きすることによって、デジタルツールでは再現できない認知機能への効果が得られる、という話題。こちらの方もイロイロと、思い当たる部分があります。特に年齢を重ねて、記憶力が落ちたりするとなおさら。若い頃はメモなんか取らなくても、簡単に覚えられていたことが、難しくなってくるとなおさら。
効率だけを考えれば、手書きというのは無駄な行為に思えるのですが。その無駄な行為を加えることによって、ひとつの情報の周辺に別の情報を加え、エピソード記憶として覚えていく面があるのでしょうね。例えば円周率を覚えるにしても、3.1417……と無機質の数字を覚えるよりも、語呂合わせにすると覚えやすい、というのと同じですね。鎌倉時代の琵琶法師が、平家物語のような長大な物語を暗記できたのも、音楽に合わせて、語りとして覚えるからこそという面があるように。
そういえば、マレーシアの鉄道会社でしたか、日本の指さし確認を導入したら、軽微なミスが劇的に減少したとか。遠い言葉を組み合わせる能力って、あんがい近いものを組み合わせる能力の延長線上に、あるような気がするんですよね。ここら辺が繋がって、レヴィ・ストロースの言う神話素と神話の創造に、なっていくのかも知れませんね。単に遠い言葉を組み合わせるのではなく。
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