所得上限を設けて再分配論の限界
◉斎藤幸平東京大学大学院准教授の論が、話題になっています。主に、批判的な文脈で。
ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、システィーナ礼拝堂の最後の審判の壁画です。
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■価値は相対的かつ無常■
個人的には、「行きすぎた富」ってのがもう、斎藤幸平東京大学大学院准教授の主観に過ぎないな、と。江戸時代だって、こんな進んだ世は嫌だと、隠遁生活をする人間はいましたし、チャップリンが描いた『モダン・タイムス』も、今日的目から見たら、進みすぎた文明とは、とても言えないように。「もう経済のパイが大きくならないのであれば」って前提もまた、ダメダメですね。70年代、人口爆発に食糧生産が追いつかず、人類は飢餓や戦争に陥ると、散々言われました。この雰囲気は、永井豪先生の『デビルマン』や川内康範先生の『コンドールマン』、あるいは『超人ロック』や機動戦士ガンダムにも描かれましたが。
現実には、緑の革命で農業生産力は驚くほど上がり、食料危機は話題にならなくなり。たぶん今後もバイオテクノロジーなどで、品種改良が進んで生産効率は、さらに挙がるでしょう。人口爆発も、一見爆発的に増えているように見えるインドも、実際は医療技術の普及で、それまで死んでた人たちが長生きできるようになって人口が増えてるだけで、出生率自体は経済発展した先進国と同じで、少子化が進んでいるんですよね。むしろ今は、少子化が何処の国も悩みのタネ。しょせん、斎藤幸平東京大学大学院准教授の提案は、目先の対処療法でしかないんですよね。対処療法にもなっていない、というか。
一言で言って、無責任な妄言です。週休三日で野球雨を楽しめるような社会は、一部の富裕層への過度な搾取で成り立つのではなく、
①食糧生産の安定と高効率化による供給の安定
②核融合発電などのエネルギーの安定供給
③安定生産される工業物の過不足ない流通の実現
によって実現されるもので、それはルサンチマンを抱えた共産主義思想には認められないでしょうけれど、より高度な科学の発達と生産手段の安定によってのみ、実現可能でしょう。絶対的な飢餓状態を想定していない時点で、斎藤幸平東京大学大学院准教授の案はあまりに夢想的で能天気です。
■共産主義思想の攻撃性■
なにやら、「2位じゃだめなんですか?」の発想と同じで、永遠に2位のままの平衡状態が続くような、無意識の幻想を前提とした発想なんですよね。そのくせ、他者を脅す時は「日本はこのままでは発展途上国になる」みたいな言い方をするんですよね。タイやベトナムの首都に行けば、部分的には東京や大阪より進んだインフラだと知らないから、そういうことを言えるんですよね。つまり、日本の地方の県庁所在地より、発展途上国の大都市のほうが、よほど発展しているんですわ。日本が急激に落ちることはなくても、慢心していたら緩やかに下落する、そういうイメージがないんでしょう。
そもそも共産主義思想とは、キリスト教に改宗したユダヤ人のラビ(宗教指導者的な聖職者)の家系という宗教コンプレックスを持つカール・マルクスが、ダーウィンの進化論に着想を得て創り上げた科学的な思想のつもりでこねくりだしたのですが。その実態は、ユダヤ・キリスト教の千年王国思想を焼き直した疑似科学で、むしろ宗教のドグマを抽出して純化した、紛うことなき宗教です。その競技の根本に、富裕者に対する抜き難いルサンチマン、歪んだ恨みつらみの感情があります。それは、過剰復讐の攻撃性とセットです。大谷翔平選手には1億円でいいという、その収奪の思想のルーツ。
その正体が見抜けず、共産主義思想に染まった教授陣の教えを受けて、こういう縮小再生産をしているんだとしたら、斎藤幸平東京大学大学院准教授は不誠実と言わざるを得ませんし、彼の思想を嬉々として取り上げるマスコミは、勉強不足です。大谷翔平選手の年俸は550万ドル、本日のレートで7億8257万5750円ですが。いったい彼に何の罪があって、6億8257万5750円を収奪されなければならないのか? 富裕層を大量に虐殺したポル・ポト派の思想を、殺人こそ行わないし1億円も残してやるんだから妥当でしょ、と言ってる恐ろしさに、気づかないようではダメです。
■共産主義教を棄教せよ■
むしろ、1億円上限の再分配をするよりも、稼ぐ能力のある人間に100億でも1000億でも、より稼がして、それを再分配する方がよほど現実的でしょうね。その先に、ベーシック・インカムの有り様が、現実味を増すでしょう。ちなみに、イーロン・マスク氏は2020年に約66億ドル(約7300億円)の報酬を得たそうです。稼ぐ人はガンガン稼ぎ、ただ怪僧の固定化をさせないために相続税をガッポリ取る。安倍晋三元総理が推進していた、租税回避を行う多国籍企業対策への国際的連携の推進の方が重要でしょうね。斎藤幸平東京大学大学院准教授には、認めづらいかもしれませんが。
小泉元総理の演説で有名になった『米百俵』の精神の話がありますが。長岡藩士の小林虎三郎の、支藩三根山藩から贈られた百俵の米を、消費せず売却し国漢学校を開校して教育に投資した故事ですが。斎藤幸平東京大学大学院准教授は、150年前の日本人の持っていた知恵さえない。もちろん、彼なりにいろいろと理屈はこねくり回しているのでしょうけれど。「共産主義思想は疑似科学の宗教である」という前提から出発しなければ、屋上屋を架す詭弁にしかならないのです。
そもそも、プロテスタンティズムが近代資本主義を産んだのは、協会によって長らく否定されてきたと見の蓄積を、容認するという教義の転換があったから、なんですよね。共産主義のルーツたるキリスト教の、金銭へのルサンチマンを否定することで、実は近代資本主義は花開いたわけで。斎藤幸平東京大学大学院准教授が言ってることは、御本人の主観とは真逆に、王政復古して封建制に戻せば万事解決という、非常に保守的な発想に共産主義の皮を被せただけなんですよね。それって、マルクス以降、ずっと失敗していますし、たぶんユダヤ教が現在の形に刷新されたバビロン捕囚以降2500年、実現できていない理想でしかないのです。
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