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萌え絵のルーツを愚考する

◉Twitterで小森健太朗先生が、こんなツイートをされていました。東浩紀氏からは、いつの間にかブロックされていたので、元のツイートは転載できません(ログアウトして見に行くほど興味も関心もない)が、小森先生の鋭い指摘だと思います。なので、萌え絵と呼ばれるものがどういう文化の流れの中から形成されていったか、自分なりの考えをまとめておこうかな、と思った次第。学術的な論考ではないので、個人の愚考ですm(_ _)m

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■萌え絵の関連年表を作ってみた■

まず、個人的には戦後の萌え絵のルーツのひとつに、いわさきちひろ先生の存在があったのは、間違いないですね。省略されたシンプルな描写と、水彩の滲みを生かした独特の色彩は、永田萠先生ら多くのフォロワーを生み出し、没後半世紀を経てもなお、古びない美しさ。このように、直接間接に影響を与えた絵画の主要なところを年表にして、以下に書き出してみますね。随時追加しますので、コメント欄に情報をお寄せくださいm(_ _)m

1818-1844頃:葛飾応為『吉原格子先図』
1894:アルフォンス・ミュシャ『ジスモンダ』ポスター発表
1919:竹久夢二『黒船屋』発表
1926:竹久夢二『婦人グラフ』4月号表紙
1927:鏑木清方『築地明石町』を帝展に出品
1932:ポルノアニメ『すヾみ舟』制作
1960:いわさきちひろ『あいうえおのほん』刊行
1965:武部本一郎『火星のプリンセス』イラスト担当
1965:NHK『たのしいきょうしつ』水森亜土出演
1968:いわさきちひろ『あめのひのおるすばん』刊行
1969:虫プロがアニメラマ3部作『千夜一夜物語』制作
1969:吾妻ひでおが月刊まんが王でデビュー
1970:虫プロがアニメラマ3部作『クレオパトラ』制作
1972:池田理代子『ベルサイユのばら』週刊マーガレット
1972:吾妻ひでお『ふたりと5人』週刊チャンピオン
1972:萩尾望都『ポーの一族』別冊少女コミック
1973:虫プロがアニメラマ3部作『哀しみのベラドンナ』制作
1973:いわさきちひろ『戦火のなかの子どもたち』刊行
1975:あしべゆうほ『悪魔デイモスの花嫁』プリンセス
1976:竹宮恵子『風と木の詩』週刊少女コミック
1977:山岸凉子『妖精王』花とゆめ
1977:竹宮恵子『地球へ…』月刊マンガ少年
1977:鴨川つばめ『マカロニほうれん荘』週刊チャンピオン
1978:大島弓子『綿の国星』LaLa
1978:『石井好子と水森亜土の料理の絵本』シリーズ刊行
1978:高橋留美子『うる星やつら』週刊サンデー
1978:永田萠『もえと妖精』刊行
1978:魔夜峰央『パタリロ!』花とゆめ
1979:高千穂遙『ダーティペア』シリーズ刊行
1979:MOEの前身『絵本とおはなし』偕成社創刊
1979:アニメ『ベルサイユのばら』放映
1979:立原あゆみ『青空いっぱいのらくがき』ひとみ
1980:吾妻ひでお『ななこSOS』ポップコーン
1980:えびはら武司『まいっちんぐマチコ先生』少年チャレンジ
1981:あしべゆうほ『クリスタル☆ドラゴン』ボニータ
1981:アニメ『うる星やつら』放映
1981:おおた慶文『詩とメルヘン第1回イラストコンクール』最優秀作品賞
1981:アニメ『まいっちんぐマチコ先生』放映
1981:ハドソン『野球拳』発売
1982:内山亜紀『あんどろトリオ』週刊チャンピオン
1982:立原あゆみ『す~ぱ~・アスパラガス』ひとみデラックス
1982:村上保が銀座で初の切り紙個展開催
1982:アニメ『パタリロ!』放映
1982:弓月光『みんなあげちゃう♡』ヤングジャンプ
1983:アニメ『ななこSOS』フジテレビ放映
1983:桂正和『ウイングマン』週刊ジャンプ
1983:アニメ『聖戦士ダンバイン』放映開始
1984:いのまたむつみ挿絵『宇宙皇子(藤川桂介)』刊行
1984:中島史雄原作アダルトアニメ『雪の紅化粧/少女薔薇刑』制作
1984:アニメ『とんがり帽子のメモル』放映開始
1984:くりいむレモン『媚・妹・Baby』発売
1985:山本貴嗣『エルフ・17』白泉社コミコミ
1985:いのまたむつみキャラデザ『幻夢戦記レダ』
1985:アニメ『ダーティペア』放映
1985:アダルトゲーム『天使たちの午後』発売

エロゲは自分は縁がない人生の人間ですので、Wikipediaの記述をそのまま信じると、最古でもハドソンが1981年に発売した『野球拳』で、現在のアダルトゲームの元祖とされる『天使たちの午後』が1985年。東氏の認識は、時系列を見てもおかしいですね。まぁ、氏の言説はもともと妙なものが多く、機を見るに敏の変わり身の速さと処世術で、業界を泳いでいる印象ですが。

もう一点、自分も失念していて申し訳ないんですが、水森亜土さんの存在。いわさきちひろ的な絵画と、現代のアニメ系萌え絵との中間点に、確実に彼女のデフォルメされた、まるっこい少女のイラストが、影響を与えた気がします。なにしろ、NHKの『たのしいきょうしつ』の出演が1965年で、10年づつく人気番組に。以降も子供番組に出て、自分の幼稚園時代や小学校時代にも、普通にあのイラストを見ていましたからね。あまりに自然だったので、すっかり忘れていましたが。

こうやって見ると、後世への影響はお起きですね。左手で書いて、アクリルに反転させて書くという、その技術自体が驚きでしたし。

■萌芽の70年代・開花の80年代■

俯瞰するとやはり、猫耳やエプロンドレスなど大島弓子先生の影響は大きく、70年代後半に現在のマンガやアニメ文化の雛形が、ドドッと出てきた印象ですね。ちなみに、少女誌における西洋ファンタジー受容の歴史には1972年の『ベルサイユのばら』や『ポーの一族』、1976年の『風と木の詩』などの作品のヒットで、西洋舞台の作品の、掲載ハードルが下がった面も大きいかも。ここでファンタジーやファンシーが、萌え絵に合流していく流れを感じます。

個人的に興味深いのは、高千穂遙先生の『ダーティペア』のシリーズって、安彦良和先生の流麗な絵柄のキャラクターの印象が強かったのですが。85年のアニメの方では、うる星やつらアニメのスタッフでもあった、土器手司氏の美少女キャラになっています。いのまたむつみデザインのレダが85年であることと併せて、85年は萌え絵の大きな転換点だったような。

■萌え絵を取り込むエロ業界■

アダルトアニメは、先行する中島史雄先生の劇画調を引きずったキャラがあまり受けず、後発のくりいむレモンシリーズがおおいに受けたのは、萌え絵の受容史の観点からも重要でしょう。東浩紀氏の雑な認識とは裏腹に、エロが萌え絵を生み出し発信したのではなく、エロの側が既に流行っていた萌え絵を取り込んだ、という意味で。小森健太朗先生の指摘が正鵠、ということでしょう。反論もあるかもしれませんが。

そして、『雪の紅化粧/少女薔薇刑』の原作のひとつであった名作『制服の方舟』の後、中島史雄先生は絵柄が劇画調から書き込みを減らしたアニメ調に変わり、エロ劇画雑誌からヤングジャンプなどのメジャー誌の仕事が増えます。エロ劇画誌に残った巨匠のダーティ・松本先生も、どんどん絵柄が美少女絵の頭身や表現に変化します。実際、読者にいくつかの絵のサンプルを示し、目や鼻などのパーツの好みを、サーチもされていました。繰り返しますが、東浩紀氏の認識は因果関係が逆です。

■萌え絵のルーツは何か?■

思うに、少女漫画に興味も関心もなかった人が、そういう少女漫画が後世に与えた影響を全く知らないまま、適当な知識で物を言うわけで。加えて、どんな表現だってある種のエロチシズムは、作品のスパイスとして混入してることが多いわけです。いわさきちひろの童話の絵にさえ、ある種の性的な香りが微妙に入り込んでいるのですから。その意味では、自分は葛飾応為『吉原格子先之図』に、萌え絵の萌芽を見ます。これもまた、吉原というエロティシズムとカワイイの、融合でしょう。

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けっきょく、一概に言えるわけもなく。それこそ、虫愛づる姫君の昔から、ある感情。ただそれは、単なる欲情とは違うわけです。オッサンが猫カフェで子猫を見て頬が緩んでる時、彼は猫に欲情してるのか? 断じて否。ただ、性的なものと全く無関係かといえば、それもまた微妙ではあります。そこが議論を混乱させており、浅薄な知識と審美眼しかない人には、萌え絵がアダルトコンテンツに見えてしまう、と。竹久夢二や鏑木清方を嚆矢とし、ずっとある日本の文化なんですけどね。いわさきちひろのこういう絵↓にも、微エロが隠し味としてあるのは、疑い得ないわけで。

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■男性少女漫画家の動向■

Twitterでやり取りしてて、ちょっとおもしろい点に、気づきました。立原あゆみ先生の『す~ぱ~アスパラガス』という作品、作品自体は女体化というテーマなんですが、なぜか立原先生、予告カットとかにビキニ美少女が武器を持った絵を、好んで描かれていたんですよね。『幻夢戦記レダ』のビキニアーマー美少女の、ルーツっぽい? で、この立原先生が男性誌にも描くようになったのが、1983年なんですよね。

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……と思ったら、唐沢俊一先生からこんな指摘が。確かに、フランク・フラゼッタの絵ですね。『コナン・ザ・バーバリアン』のシリーズとかが、流入したと。いのまた先生とか、そっちから直接なんでしょうね。こういう部分は、自分の年齢的な限界ですね。生まれる前の作品ですから。もっとも、アーノルド・シュワルツェネッガーの映画『コナン・ザ・グレート』は1982年ですが。ここらへんの、ハヤカワや徳間の海外SF小説のイラストや、武部本一郎先生など、いろんな影響も総合的にあるのでしょうね。上に挙げたアルフォンス・ミュシャとか明治時代から紹介されていたようですし。閑話休題

フラゼッタの絵は足下は不明ですが、ビキニ美女と猛獣って構図、高千穂遥先生の『ダーティペアの大冒険』の、安彦良和先生の表紙イラストにも影響がありそうですね。ビキニではなく、ホットパンツにセパレートのトップスですが。ブーツはやはり、ラムちゃんの影響なのか? で、さらにこんな指摘もいただきました。まぁ、考えてみたら『うる星やつら』のラムちゃんが、虎柄ビキニにブーツという、非日常の格好で一世を風靡し、親友の弁天様もビキニアーマーみたいな格好でしたから、こういう幻夢戦記レダにつながる流れは、必然っちゃあ必然だったのかもしれません。

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■少女誌のエロス合流■

話を本題に戻して。奇しくも、同じく男性の少女漫画家の弓月光先生が、読み切りの『処女いりませんか?』から『みんなあげちゃう♥』の連載を始めたのが1982年。そして、同じく少女誌が主戦場だった柴田昌弘先生が、『ラブ♥シンクロイド』の連載を少年ジェッツで始めたのが1981年。『デス・トラップ』を月刊少年キャプテンで、『バースト』を少年マガジンで執筆したのが1985年なんですよね。この動きは萌え絵とは直接関係ないですが、興味深いです。お三方とも、少女誌で嫌悪感を持たれないエロを描く名手でもありました。

少女誌系の男性漫画家が、少年誌や青年誌に進出し始めたのが1981~85年というのも、時代を考える上で貴重ですね。少年誌で女性的な絵が嫌悪されなくなった、時代の変化の現れですから。ここらへん、リアルタイムで経験していない人にはピンとこないでしょうけれど。車田正美先生は編集部の悪ふざけで女性漫画家と誤解され、さらに絵柄が女性的(❗)だと、初期は少年読者に嫌悪されていました。今では信じられないでしょうけれど。だからこそ、ファンロードでの女性ファンの支持が高かった、腐女子の創作意欲を刺激した面も。ここらへんの動きも、踏まえておくべきでしょうね。

■頓珍漢な批判が…■

このnoteはあくまでも、東浩紀氏のような時系列を無視した意見について、女性漫画家や少女誌、アニメの果たした萌え絵への表現技術や様式についての考察なのに、エロ漫画史についてでも語っているかのような、批判をいただきました。鹿児島の田舎モンですから、そんな小学校の頃に発売された同人誌のことは知りません。その同人誌で、吾妻ひでお先生が商業誌では用いなかった技術や表現を用い、それが萌え絵の表現に影響を耐えたならともかく。

中島史雄先生やダーティ・松本先生の絵柄の変化以上の特筆すべきことですかね? 業界へのインパクトはともかく、表現技術的にはそう意味があるようには思えませんが。ハッキリ言えば、絵を学んだわけでもなさそうな人に上から目線で、noteの趣旨を履き違えた論点で内容について、どうこう言われる筋合いはないですね(唾を吐き捨てながら)。同人誌『シベール』について、資料をリンクしてくださった方がおります。貴重な情報、ありがとうございますm(_ _)m

貴重な資料ではありますが、シベールで実験的に少女漫画の顔の表現様式と、手塚・石ノ森系の胴体の表現を融合させたと。それをシベールで初めてやったのなら意味はありますが、先に商業誌で発表してて、それをロリコン同人誌に応用したというのは、少なくともこのnoteの趣旨からすれば、ミュシャなどの古典的な表現のルーツを探ることより、意味があるはずもなく。また、吾妻ひでお先生が参考にした女性漫画のルーツがわからないのは残念ですが。ここでも、少女誌の果たした役割の補強になりました。

上でも書いたように、少女漫画や女性作家、アニメなどの成果を、エロ系が取り入れて利用した歴史を語るnoteではありませんので。繰り返しますが、こういう頓珍漢な批判は不愉快極まりないです。資料を添付するでなく、己の知識をひけらかしてるだけですから。エロ漫画史について語りたいのなら、ご自分で調べて、ご自分の責任で、ご自分で発表されるがよろしいのでは? 『エロマンガ表現史』などの研究所以上の内容は、期待できないとは思いますが。

それでは大学〜駆け出し編集者の頃、好きだった加藤洋之&後藤啓介先生のイラスト集をリンクして。ここにも、ファンシーと萌えの融合を見ます

■参考資料画像集■

萌え絵に影響を与えたであろう、各種イラストのギャラリーを、本論の参考としてこちらに移しますね。ある種の記号化され簡略化された表現、デフォルメと様式美などが、萌え絵の技術的ルーツとして合流していった印象を受けますが、個人の感想ですm(_ _)m

■アルフォンス・ミュシャ■

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■竹久夢二■

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■鏑木清方■

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■いわさきちひろ■

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■伊藤若冲■

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■河鍋暁斎■

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■武部本一郎■

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■村上保■

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■喜多野土竜模写■

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いちおう、いのまたむつみ先生も高田明美先生も美樹本晴彦先生も桂正和先生も、この程度には模写できる技術の理解度の上に、表現技術を語っていますんで。ちなみに、ほとんどが高校から大学の頃に描いたモノです。高橋真琴先生が萌え絵の表現技術的ルーツとか言われると、違うんでねぇのと言えるぐらには。喜多野は絵が描けないクセにとか、トンチンカンな陰口叩く人のために、恥を忍んでアップしておきますが。

■模写の難易度■

もうひとつ、重要な指摘があったので、追記しておきますね。この、真似しやすさって重要。いのまたむつみ先生も高田明美先生も、アニメーター出身のキャラクターデザイナー。アニメは分業作業で、原画マンと動画マンが真似できなければ意味がないわけで。どんなに上手くても真似しやすい絵と、下手でも真似しづらい絵というものはありますから。美樹本晴彦先生の絵は密度はありますが、模写しやすいのは自分が上で証明しているとおり。

逆に、クレヨンしんちゃんの方が、微妙な曲線で模写しづらい。これは、叶精作先生が「さいとう・たかを師匠は自分よりずっと女性が上手いです」という話にもつながる部分でしょう。『ゴルゴ13』のタッチは、さいとう先生ほどの技量がないアシスタントにも、真似しやすい量産型の絵という側面があるので。それは例えるなら浮世絵の、版画のようなもの。版画の絵は、彫師が彫りやすい造形です。浮世絵の肉筆画とは、自ずと異なるものですから。

これは若干異論があって、推理小説の始祖であるエドガー・アラン・ポーは、ワトソン役による記述形式や緻密な推理方法など、最初から完成度が高かったけれど、この時点ではまだホラー小説と推理小説が未分化な時期の、作家で。ホームズによってホラー要素を減らし推理要素が大きくなった、比率の問題が大きいような。それは日本の『半七捕物帳』も同じ。そのホームズも、『バスカービルの魔の犬』とか、ホラー要素のある作品のほうが、筆が冴え渡るわけで。

もうひとつ、講座で教えてるアイコン化の点で、ポーとドイルの間には大きな差があります。これは岡本綺堂と野村胡堂も同じです。詳しくは、飯の種なので書きませんが。また森博嗣先生がいう、先駆者で開拓者である第1世代と、その土台の上に発展させる第二世代論に通じます。浮世絵の元祖・菱川師宣と、浮世絵を発展させた喜多川歌麿や葛飾北斎や歌川広重などとは、違うように。ちなみに菱川師宣、『見返り美人』以外の作品は、ほとんどがエロ系だったりします。

どっとはらい( ´ ▽ ` )ノ


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喜多野土竜
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