![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/58093623/rectangle_large_type_2_2cf5610052ca50fd68ea93b568fdc9d3.jpeg?width=1200)
ジャンプ+『ルックバック』修正問題
◉話題となった少年ジャンプ+掲載の藤本タツキ著『ルックバック』が、表現を一部修正して、掲載されました。発表時点で内容についての疑義をツイートしましたし、この表現については問題になるだろうな……と思ってはいました。今回の件、キーワードは〝ステレオタイプ〟ですかね。
『ルックバック』作品内に不適切な表現があるとの指摘を読者の方からいただきました。⁰熟慮の結果、作中の描写が偏見や差別の助長につながることは避けたいと考え、一部修正しました。
— 少年ジャンプ+ (@shonenjump_plus) August 2, 2021
少年ジャンプ+編集部https://t.co/Vag51clfJc
犯罪白書によれば、検挙者に占める精神障害者およびその疑いのある者の割合はほぼ0.6%から0.8%ほどで、精神障害者の人口に占める割合の約2.4%に比較して、3倍から4倍も低いのです。でも「気違いに刃物」という言葉に象徴される、偏見が世間一般にあるのも、また事実です。
◉…▲▼▲▽△▽▲▼▲▽△▽▲▼▲…◉
■精神科医の見解は■
精神疾患を抱える人の多くは、イメージと違ってむしろおとなしい人が多いんだそうです。では実際の数字と違って、強烈なイメージが独り歩きする理由はと言えば、まれに起きる殺人事件で、全身数十箇所をメッタ刺しとか、猟奇的な結果になってしまうことがあり。これが一般大衆に、強烈な印象になってしまっているのが、主たる原因でしょうか。この件に関しては、精神科医の斎藤環氏のnoteが、とても参考になりました。賛否は置いて、ご一読を(Twitterでの感謝しかない云々は余計な一言だと思いますが)。
元出版社勤務の編集者で、本業はあくまでも編集者の自分としては、これは担当編集者がネーム打ち合わせの段階で、作者に過去のいろんな問題となった差別の事例を提示し、場合によっては裁判になどになった事件と判例などを挙げ、問題を先に潰しておくべきだったかな……とは思います。ただ、週刊少年ジャンプは、差別問題に昔から疎いんですよね。佐藤正先生の『燃えるお兄さん』絶版回収問題も、似たような内容の筆禍事件を過去に、新田たつお先生が起こしてるのに。担当編集者もネームチェックしたであろう班長や副編集長も、最終的に責了した編集長も、誰も気づかなかったという体たらくですから。
■出版業界の構造問題■
でもコレは、ジャンプ特有の問題ではなく、週刊誌にありがちな問題です。なぜこういうことが起きるかというと、ある程度以上の出版社には校閲部があり、月刊誌ベースの漫画の場合は内容を事前にチェックするのですが。発行サイクルが短い週刊誌の場合、校閲部を通さず、編集部内での相互チェックで済ますことが多いからです。しかし校閲部は、誤字脱字誤用のチェックだけでなく、事実関係や差別表現など内容のチェックも行います。
例えば、Twitter上では安倍晋三前総理の難病を、平気で揶揄する人がいます。でも出版社がそれをやったら、安倍前総理からの抗議がなくても、絶版回収になる可能性が高いです(裁判上等の文春や新潮などはともかく)。別に、患者団体の抗議とかでなくても同じ。なりたくてなった訳でない難病を揶揄したら、そりゃあ差別ど真ん中です。政治家だろうが庶民だろうが、関係ないです。出版社の姿勢が問われますから。むしろ政治家は、言論の自由を尊重するので、寛容な部類でしょう。スラップ訴訟を一般人に仕掛ける、自称リベラルな政党もありますが…。
■校閲部と法務部と■
出版社の多くは、共同通信社の『記者ハンドブック』をひとつの基準としています。100%従っているわけではないですが。実際に自社が訴えられたり、あるいは他社が訴えられたり、企業が敗訴した記録などが、校閲部や法務部にはスクラップされてたりで、ある程度の判例が共有されています。なので校閲部を通すと、そういう部分での朱筆が大量に付いてきて、新人編集にはスゴく勉強になるのですが……。週刊誌はこの経験が少ないまま、キャリアを重ねる編集が多いです。
しかし、編集部内で共有されてる出版コードは、かなり偏りと粗があります。だからこそ専門家の校閲部がありますし、大手の出版社はさらに顧問弁護士や、弁護士事務所と契約しています。なので、今回の『ルックバック』が話題になったとき、コレは問題になると危惧したベテラン編集者は、多かったと思いますよ? 迂闊に口に出すと、積み重ねられた判例や業界の落とし所を知らない素人が、ツイフェミのイチャモンと同一視して絡んできて面倒臭いので、公言はしないでしょうけれど。
■表現規制と自主規制■
精神疾患への偏見には、長い長い歴史があり、それに対するいろんな議論や裁判があるわけですから。それは表現規制とか、そういう話ではなく。単に過去にもこういう筆禍事件があり、抗議や批判を受け、出版社が落とし所として引いた、線引きはあります。それの是非の議論は、また別に在って良いのです。某社は一時期、〝キチガイ〟の表現をアウトにしてましたが、自分が編集者時代の20年ほど前に、解禁しましたしね。きだみのる『気違い部落』シリーズなんて、名作小説もあるのですから、当然です。
でも、よほど必然性が無い限りは、編集部は使用は避けます。よほどの信念がある場合ならともかく、軽い気持ちでやって、それこそ執拗なクレーマーに作家や編集者が心も時間も削られるなら、天秤にかけてあらかじめ避ける。逆に譲れない部分は、弁護士に相談して、クレームも想定問答をやった上で、覚悟を決めてやります。そういうモノです。でも、例えば『自閉症』を字面から、心の病だろうと思い込んだような、無知からくる間違いは、さっさと謝罪した方が良いのです。自分が太田啓子弁護士に、思い違いからの誤記を謝罪したように。
■血だるま剣法事件■
平田弘史先生の『血だるま剣法』という作品が、絶版回収になった事件について、追記しますね。この作品は差別に対する批判から描かれた作品であったのに、部落解放同盟から差別を助長するとして逆に糾弾され、結果的に絶版回収という目にあいます。反差別という良き意図が、逆に差別の当事者から糾弾されたという逆説からも、重要な事件です。当時は漫画の地位も扱いも低く、被差別部落問題も(西日本、特に関西では)根深かったという、時代背景もあります。
今回の修正に対して、圧力に屈して〝修正させられた〟という文脈で論じる人がいますが。修正を拒否して、お蔵入りさせる選択肢も著者にはあったのですから、修正後もやはりあれは、作者の作品です。「ここをこう直せ」と指定されて、それに唯々諾々と従ったわけではなく、作者なりに消化して出した修正形ですから。血だるま剣法事件では実際に、解放同盟側が用意した原作を元に、改作するという提案もありました。でも、平田先生はそれを、断っています。解放同盟でさえ、強制は出来ません。
■表現規制は世に連れ■
平田先生は六年後に本作を、『おのれらに告ぐ』という時代劇作品にリメイクされます。それが作者の矜持というモノではないでしょうか? しかし今回の『ルックバック』の表現は、そこまで深い思考の結果描いたとか、作者の譲れない意見があったとか、あるいは覚悟があった部分かと言えば───少なくとも自分は違うと思いますよ? もっと安易に、俗流解釈=ステレオタイプの統合失調症イメージをそのまま使ってしまったレベルの問題です。『燃えるお兄さん』回収問題と同じレベルの。もし違うと言うなら、作者は説明すべきではないかと思います。
ちなみに『血だるま剣法』は2004年、呉智英夫子の監修の元、復刊します。今回の件で、「どんどん表現が規制されてしまう」という危惧を語る人がいますが、それもまた一方的な見方です。昔は批判され封印された表現も、逆に議論の深化や社会の変化で解禁されることも多々あります。黒人差別をナンタラカンタラという関西の3ちゃん団体が以前、ステレオタイプの黒人表現を批判して、お蔵入りになったり修正された表現は、多数あります(Dr.スランプなどまで影響が及んだ)。しかし現在は手塚作品など、注釈付きで復刊されているものは多いです。
■ゼロイチ思考の愚■
しかし、復刊された『血だるま剣法』ですが、監修の呉智英夫子によって、現在の基準から見ても差別を助長する可能性がある部分に関しては、伏せ字にしてあります。実物を見れば解るのですが、けっこうな量が伏せ字で、文意が不明な部分さえもあります。
伏せ字という古式ゆかしい方法にしたのは、呉智英夫子なりの考えがあってのことですが。しかし解同の抗議にも真っ当な部分はあり、そこは摺り合わせるものなのです。抗議に全面服従でも、全面拒否でもないのです。ゼロイチ思考は危険です。
言うまでもなく、呉智英夫子は言葉狩りと戦い続けてきた人です。支那という言葉や、土着人の短縮形としての土人とか、枚挙に暇がない。表現規制とはむしろ対立する人ですが、規制全部が悪いなんて、単純思考はしていないんです。傑作『血だるま剣法』は反差別の熱い想いが込められた作品でしたが、同時に差別的な部分もあったということ。
『ルックバック』の件も、全面屈服か全面拒否かのゼロイチで論じるのは、危険だと自分は思います。ツイフェミの支離滅裂にして理不尽な抗議とは、ワケが違うのですから。
■反差別の差別知らず■
でも今回の作品『ルックバック』は、そこまでの考えや覚悟があった作品ではなかった、ということです。繰り返しますが。もちろん、数年後に編集部から作者へ何らかの強制があった暴露話が、作者側からでる可能性は否定しませんが(ただそれは、みっともない言い訳にになるので、やめたほうが良いとも思いますが)。
自分に関しては、反差別界隈の一部に嫌われており、彼らは躍起になってツイッター社に通報しているようですが、変なアルゴリズムの検出によって理不尽なロックをされたことはありますが、それ以外で警告や削除要請がきたことはないです。
反差別界隈は「○○さんが凍結されて、百田尚樹が野放しなのはおかしい」とよく言い募りますが。放送業界に長くいて、小説家として出版業界にもいた百田氏は、ロックや凍結されるような言い回しは、巧妙に回避されています。逆に反差別界隈の方々こそ、編集者の自分の目から見たらアウトの表現で、続々とロックされています。アメリカ大統領さえも凍結するツイッター社が、日本の作家に忖度するはずも無し。
『血だるま剣法』が反差別の心根から描かれても、差別は差別な部分があったということを、反差別界隈の皆さんは、噛み締めてほしいです。善き意図が善き結果をもたらすわけではなく。正義が暴走したら悪になる、なんてことは良く有る話です。
■本論に関係ない話■
本作に関しては、漫画=画力という、これまたステレオタイプの偏見を助長する部分を感じて、そちらも発表直後にツイートで批判しました。京アニ事件の二周年にぶつけてきた事への、もにょりと併せて。小説家が文字を使って物語を紡ぐように、漫画は文字と絵で物語を紡ぐ人だと、自分は思っています。これに同意してもらう必要はないですが。ゆえに、主人公もライバルも、ひたすら絵の修練ばかりする本作は、違和感がありました。
ルックバック - 藤本タツキ | 少年ジャンプ+
— 喜多野土竜【⋈】腰痛持ち (@mogura2001) July 18, 2021
7月18日にコレをぶつけてくるか。 https://t.co/EufqlEHXCo
少なくとも、京都アニメーション放火殺人事件の日に発表しておいて、同事件を意識しなかったというのは、通じないでしょう。李下に冠を正さず瓜田に履を納れず、です。
傑作だけど〝漫画=絵〟という誤解を広めかねない部分はあるかな?
— 喜多野土竜【⋈】腰痛持ち (@mogura2001) July 19, 2021
作者自身が絵への拘りがかなり強い人のようだし。
小説家が文字で物語を紡ぐように、漫画家は絵と文字で物語を紡ぐ人。
画家の絵とは違って、記号なんだよなぁ。
その意味では、漫画家は画家よりプロレスラーに近い。
物語を紡ぐ人。 https://t.co/PRTBXrx0M1
アマレスとプロレスは違う。
— 喜多野土竜【⋈】腰痛持ち (@mogura2001) July 19, 2021
プロレスのバックボーンにアマレスや各種格闘技があるけれど。
似て非なるモノ。
アマレスラーは試合で勝つのが目的。
プロレスラーは観客を楽しませるのが目的。
同業者に舐められないための強さは必要だけど、それが主たる目的ではない。
レスラーは肉体で物語を紡ぐ。
子供の時は絵の巧さでガーンと来ますけど漫画目指しているなら「コイツ絵はヒドイが面白いとみんなに言わせてスゴイ」「ワタシはウマいといわれるけどそれは絵のことだ」と軸にした方が良かったかもしれませんね(・∀・)
— 松本規之「廃版旧制服図鑑」とら、メロンにて通販開始 (@matsumoto0007) July 19, 2021
そこなんですよねぇ。
— 喜多野土竜【⋈】腰痛持ち (@mogura2001) July 19, 2021
さらに踏み込んで、物語を紡ぐためには引きこもってカリコリ練習することより、いろんな人間に出会って、良いことも割ることも経験して、それが人間造形や物語を作る糧になると気付くところまで、踏み込んで欲しかったです。
そうすると、前半がより生きてくる気がします。
ライバルは、より絵のレベルを上げるために美大に入り、そこで被害に遭う。もし作者がそこに、漫画は絵ではなく物語→物語は人間を描く→人間を描くには引き籠もっていてはダメ→少なくても良いから心からの友だちと出会おう というメッセージを込めたのなら、自分はこの作品を最高級に評価したでしょうけれど。
どうも、そういう意図も部分的には感じますが、中途半端に思えます。けっきょく、漫画と精神疾患へのステレオタイプに乗った作品に思えてしまいます。
◉…▲▼▲▽△▽▲▼▲▽△▽▲▼▲…◉
※以下は有料ですが、たいした内容ではないので、興味がある方、投げ銭の対価としてちょっと何かもうちょい読みたい方だけどうぞ。返金には応じませんので、自己責任でm(_ _)m
ここから先は
¥ 300
Amazonギフトカード5,000円分が当たる
売文業者に投げ銭をしてみたい方は、ぜひどうぞ( ´ ▽ ` )ノ