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夢を見た〜幸せな元体育教師〜
夢を見た
なにやら文化祭の準備期間のようだ
文化祭の企画会議を、終礼の前にやるのか、あとにやるのかで、もめている。
そこにいる顔ぶれは、今まで出会った生徒や、先生方のような顔に見える。ごちゃ混ぜだ。
「どうでもいいことでもめてるなあ」と思いながら眺めていたら、
「どうにかまとめろ」
と誰かに言われた。
「じゃあ、みなさん、授業終わり直後は係の仕事なんかもあると思うから、終礼後にパッと短くやるってことでどうですか?」
この一言で決着がついた。はず。
妻いわく、寝言でごにょごにょ言ってたらしい。
こんな夢を見たものの、悪夢とは感じなかった。
それはきっと、教員として過ごした約10年、関わった生徒や先生方、校舎や体育館、全てがキラキラしたものだったからだろう。
生徒はあーだこーだ文句垂れるし、先生方は会議で意味わからないこと言い出すし、大変なことももちろんあったが、
毎日大好きなバスケットボールのことを真剣に考えることができたし、なによりあーだこーだ言いながら生徒たちと過ごした時間は、私にとって眩しいくらい輝いた時間だったのだろう。
そんな教員生活が、ある日突然「怖いもの」に変わってしまった。
一体何が原因だったのかと、いまでも疑問に思うことはあるが、
その「ある日」を境に、学校敷地周辺にすら近づけなくなってしまった。
2年半以上経ったいまでもだ。
わたしはおそらく、自分のペースで物事を進めていくことしかできないのだ。
その「ある日」が来る前は、どんな仕事を振られても断ることなく引き受けていた。
おそらく、自分のキャパシティを超えてしまっていたんだろう。
なまじっか、会議なんかでは、こじれた内容を最後に「じゃあこれでどうですか?」とトドメを刺すことが多い人間だったからか、
なにかと人に頼み事をされるようになっていたのかもしれない。
わたしには一度にいくつもの仕事や役割を担うキャパシティなんてなかったのに、「ええ格好しぃ」精神で易々と引き受けてしまっていたのだろう。
そんな無責任だった自分を、心底せめた。
どうしようもないくらい絶望したし、バスケットボールに恩返ししたいと思っていたにもかかわらず、バスケットボールを拒絶するようにすらなってしまった。
今考えても、本当に失礼なやつだし、自分が憎らしい。
でも、わたしが生きていくには、「自分のペース」で生きることしか道は残っていないのだ、と結論づけた。
教員を辞めて、長い期間休んだ末にベンチャー企業で拾っていただいたが、それも一年と持たずうつ病が再発。
会社はとても活気があっていい会社だったが、多くの人やプロジェクトと関わるようになると、脳がテンパる感覚があったように思う。
考えが巡らず、そんな自分に対しての自己嫌悪がぐるぐると頭の中を巡っている感じだ。会議中であってもだ。
そんな自分をあらためて自己分析した結果、
「自分のペースで生きていこう」
と結論づけることになった。
そんなに多くの人とかかわらず、自分のできる範囲で、自分のできることをやって、とにかく「生きていく」。
そんなレベルだと、もちろん世の中「金」なので、誰かに頼らないといけないけど、そこは妻に頼ることにした。
昭和の生き残りだし、「男たるものなんとやら」と思って生きてきたけれど、その考えはやめることにした。
「夢に向かって一歩踏み出せ」
生徒に卒業の時に送っていた言葉だが、
今の自分はもっと前の段階にいる。
無理して「夢」をつくる必要なんてないし、誰かのためにいい顔したいからって「頑張ってるふり」なんてしないほうがいい。
もちろん、頑張ってきた時間はキラキラ輝いてる時間だった。それは今でも変わることのない事実だけど、今の自分に合った選択をするならば、「頑張ることをしない」ことがいまの課題である。
それにしても、やつら(教え子たち)と過ごした時間は、本当に眩しいくらいキラキラしてて、幸せだったんだな。
出会いに感謝。