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太陽が月を抱く


1.このnoteについて


今年の夏に、いわゆる"ツインソウル"と思われる男性と出会い、激動の数ヶ月を過ごしています。

これまでの人生で向き合うことを避けてきた自分自身とようやく向き合い、毎日涙を流しながらも新しい発見や学びがあり、細胞が生まれ変わるような日々を送っています。

そんな中で感じたこと、考えたこと、気づいたことなどを書き留めておきたいと思いこのアカウントを作りました。

自分自身のためではありますが、同じような人がもしいるなら何かの参考になればいいなとも思っています。

2.自己紹介


moni(モニ)といいます。

会社員として働く傍ら、パートナーと2人で趣味のサークル活動をしています。

パートナーとは10年以上の付き合いで、恋人であり創作活動の相棒でもあります。

趣味や価値観、考え方がよく合い、こんなにぴったりな人とは2度と出会えないだろうなと思う大切な人。

そんな中で出会ってしまったツインソウルは青天の霹靂で、戸惑いながらも魂の成長を目指す日々です。

3.ツインソウルとの出会い


最初から特別だと感じていたわけではなく、でも気づいた時には深い穴の底に落ちるかのごとく惹かれていました。

出会い自体は6年前。
2〜30人ほどが参加するイベントで居合わせたことがあり、こちらは彼の存在は認識していましたが会話はなし。
なぜ認識していたかと言うと彼は当時高校生で、若い人が来るのは珍しいイベントだったので記憶に残っていた。

その後コロナ禍で数年のブランクを経た今年の夏、同じイベントに参加すると彼もいて、たまたま会話する機会があり交流を持つことができた。
彼は大学生になっていて、私が住む県とは新幹線を使っても2時間弱の距離がある街に住んでいるとのことだった。

そうかんたんに行き来できる距離ではないのになぜか、その後1ヶ月半の間、毎週会えるタイミングがありさらに交流を深めた。
会う時はふたりきりではなく、私のパートナーや共通の趣味の友人も含めた複数人で。

私と彼は親子ほどの年齢差があるし、6年前の子供だった頃から知っているので、異性として意識することは全くありませんでした。

初めて会話したイベントの翌週、たまたま彼が私たちの住む県に来る用事があるとのことで複数人で会うことになりました。

イベントで話した時は、ほとんど目を合わせてくれず、シャイなのか人見知りなのかという感じだったけれど、この日の彼はとてもリラックスした雰囲気と人懐っこい笑顔で、同じ人?と思うくらい違ったのが印象的でした。

そこで色々と話して打ち解けることができ、その場のノリで一緒にツーショット写真撮ろう!と誘って友人に撮影してもらいました。

撮影後、友人に「ふたりは顔が似てるね」と言われ、自分ではよくわからなかったのですが、言われてみたら雰囲気や笑った時の目の形が同じかもなどと思い少し照れくさい気持ちになったのを覚えています。

その日をきっかけに、異性としてかはわからないけど漠然とした好意が芽生え、次に会えるのが楽しみだなぁと思うようになりました。
それからも週1で会って関係がどんどん深まり、気づいた時には私はもう彼のことが大好きになっていました。

最後に会ったのは9月末で、その後はしばらく会えるタイミングがないことがわかっていたので最後の夜はとてもさみしくて、心の中は「もう2度と離れたくない」という気持ちでいっぱいでした。

ツインソウル、またはツインレイという言葉を知ったのは、彼を意識しだした頃。
どうしようもなく惹かれている自分に気づき、そんな現状をgoogleの検索バーに打ち込み出てきた記事を読んで知った。

でもその時は、そんな大層なものじゃないし、ただの性欲だと思っていた。
理由もなく惹かれる異性って、DNAとか動物的本能とか、単なる性欲だと思っているので。
だから、会わなくなればすぐ忘れるし恋焦がれるのも一時的なもの。
今までだってそんな経験は何度もあるし、珍しいことではない。
最初はそんなふうに思っていた。

でもね、彼と再会して言葉を交わした日から、自分の中でじわじわと、しかし急激に変化するものがあるのも感じていた。
それは初めての感覚で、正体がわからなかった。
自分自身と向き合わなければならないという強烈で絶望的な使命感だった。

私の幼少期は、親に愛してもらえない、誰にも理解してもらえない、どこにも居場所がない、自分らしく好きなことを表現しようとすると揶揄われる、そんな不遇な時代だった。

家族との仲は最悪で、安らげる場所ではなかった実家を20歳で出た。
男の人と暮らしたり、一人で暮らしたり、20代の頃に結婚したこともあったけど全然うまくいかなくて2年半で離婚したりした。

最近の言葉でいう自己肯定感というものが著しく低い人間で、常に何かに誰かに依存していた。
恋人からの愛情を求めて、いくら与えてもらっても満足できずいつも不安だった。
付き合う人とは共依存的な関係になることが多く、恋愛以外の人間関係もだいたいうまくいかず、人の好き嫌いも激しかった。

自覚はあるし、克服すべき問題であることも頭ではわかっていた。
カウンセリングなどプロの手を借りる必要があるかもと考えながらも実際には何もしてこなかった。

今のパートナーの献身的な愛情と、趣味の活動で承認欲求が満たされたこと、そして少しは自身の努力もあって年々マシにはなってきていた。
だけど、そんなものは気休めだった。
根本的には何にも解決していなかった。

そんな自分自身の問題を克服しなければいけない、解決しなければならない、今の自分のままではいられない。
そんな強い思いが私の中に溢れてきた。

彼はとてもピュアで、人をすぐに信じるし、基本的にとても親切で優しい人だった。
知的なご両親に大切に育てられて、経済的にも恵まれた環境にいることは少し話せばわかった。
それなのになぜか満たされていない、常に冷静で人の心を見透かしてしまうような暗い闇の部分があることも隠さずに教えてくれた。

私と彼とは完全に正反対で、考え方や価値観もまるで違った。
それでもなぜかすごく共感してしまう部分もあって話していていつも不思議だった。

彼といると、私の心が癒されていくのと同時に、元いた場所にかえらないといけないような強い気持ちを抱くことがたびたびあった。
元いた場所ってなんだろう?
よくわからない、でもそんな気がする。

異性としては全く好きなタイプではなかった。見た目とか性格とか趣味とかは全く合わない。
なのになんでこんなに好きで好きで仕方ないんだろう。意味がわからなかった。

魂の生き別れ?ロマンチックだね、そんなんだったらいいね。強くお互いを求め合って生涯愛し合っていけるなんて。
そんなネット記事を貪り読んで、気持ちよくなったり、ばかばかしいと思ったりする日々だった。

無償の愛、というものがずっと理解できなかった。そんなものがこの世にあるはずない、もしあるなら知りたい、味わってみたいとずっとずっと思ってきた。
子供を産むつもりのない私には一生わからない感情なんだろうなと諦めていた。

でも、その片鱗が今は少しわかる。
自分の中から溢れてきて止めることのできない愛情があるということを知った。
でも、その愛情を彼に与えたいという気持ちはエゴだということもわかった。
この行き場のない愛情をどうやって消化すればいいんだろうと途方もない気持ちで泣いた。
しばらく泣いてから理解した。

これは自分自身に与えるべきものなんだと。
そんな風に毎日泣きながら、自分がすべきことが何なのか学びながら暮らしてる。

パートナーとは一緒に暮らしているけれど、もうこれ以上自分を偽ることはできない。
大好きで大切な人だけど、これからも一緒に生きていくことはできないと覚悟を決めた。
しかるべきタイミングでその話をする。

嫌いになったわけでもないのに別れるのはつらい。
そちらのつらさでも毎日泣いてしまう。
これは現実的なつらさだ。
でも仕方ないとも思う。

私は私の人生を、自分の意思と責任で生きていかなければいけないと気づけたから。

愛とは何かを忘れそうになったら、太陽を見ることにしている。
太陽は、人々が感謝したり喜んだりしなくても勝手に照らしてエネルギーを与えてくれる。
きっと、太陽にとってはそれが使命なんだろう。
私はただのちっぽけな肉体を持った人間だけど、魂というものは無限なのだと思う。
望めば太陽みたいに生きることもできる。

でも私は静かで暗い夜も好きなんだ。
月の方がタイプ的には共感できる。
どちらも好きだから両方入れたタイトルにした。

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