「やばい」を使わなかったら、逆に「やばい」に支配された。
こんばんは、もげらです。
ガクテンソクの新衣装がお披露目された。
なので今日はガクテンソクの衣装のお話、から「やばい」について。
え? どんな繋がり??
本日、ガクテンソク奥田さんのnoteに掲載された新衣装お披露目お写真。
ひょぇっ……!?!?
スリーピース????
はあああ??????
ちょっと待って、やばい、奥田さんのスリーピースきた。
前回のダブルスーツもそれはそれは大変よろしかったですが、好物だったんですが、
スリーピースか、
スリーピースやばい。
待って、スリーピースか、やばい
オタクは「待って」言いがちな件とか、簡単に語彙力無くなる件は今は触れないでおこう。
ここで急に、「やばい」じゃなんだかあまりにもアレだな、と思った。
(『あまりにもアレ』が曖昧すぎるけどそれも無視しよう)
「やばい」が出そうになったけど、奥歯をグッと噛んで堪えた。
その結果。
「スリーピース最高」とツイートしていた。
……なんなん、「スリーピース最高」って。
なんならいっそ「やばい」の方が感情伝わる気がするって。
自分にがっかりですよ。
いや、noteでも散々「言語化は難しい」って言ってるから、これぞ実例。
自ら実証していくスタイル。
でもTwitterは、こういうものだからね、って思ってもいるよ。
「新衣装やば」でもTwitterなら許されると思ってる節あるよ。
ちなみに次の候補は「スリーピース尊い」だった。
なんやそれ。
スリーピースは至高。
そしてヘキをえぐるものである。
もうどれもこれもなんというか……
言葉の美しさがない。
いやいや、ファンとかオタクというものは、感情を伝えてなんぼですから(言い訳)。
それにTwitterでは狂ってなんぼですから。許されますから(言い訳)。
Twitterをなんだと思ってるんだ私は。Twitterに失礼だ。
そもそも論、「やばい」は元々「危険」の意味だったはず。
良くも悪くも、今や「やばい」は否定的にも肯定的にも、安易に使えすぎる。
状況も感情も、あらゆることが「やばい」で表してしまうことができる。
この中にある「やばい」の説明。
とても納得できる反面、いいのか?とも思っちゃう。
まあ、これは自分が「感情/思考をなんとか言語化したい」と思っているからかもしれない。
なんでもかんでも「やばい」で済まされるのはよくないけど。
ギュウウゥっとまとめた「濃厚なやばい」も中にはあるんじゃないか?
『ちょっと、スリーピース、やばい、なにがやばいってまあそもそもスリーピースのスーツが好きっていうヘキがあるけども、それを奥田さんが着てるっていうのが本当ありがたいし、すごく似合ってるし、奥田さんの良さが引き立っているっていうか、ほんでそのシャツはプレイボーイのでしたっけ、いつぞやのインスタライブで着てたやつでしたっけ、いやいや今はそこじゃなくて、うんぬんかんぬん』
っていう心情をツラツラ書くよりも「やばい」というたった一言の方が"やばさ"が伝わる気さえする。
(お察しの通り、現時点で「スリーピースやばい」はまったく説明できていない)
……混乱具合は伝わるかな。
いや、でもそれは書き手の感情であって、読み手としては「やばい、の一言かい」と思う可能性はもちろんある。
(否定か肯定か)どっちのやばいなの、って思われたり。
「スリーピースやばい」を考えてみると、その文面だけだと
否定的: 似合ってない、ださい、かっこ悪い
肯定的: 似合う、素敵、かっこいい
どちらに捉えられるかは実際わからないよね。
"仲間"になら「ああ、奥田さんがあまりにも素敵すぎて全部ぶっ飛んだな」と理解してもらえる可能性はある。
どうでもいいけれど、私のおくたぶ特化Twitterは常に全力で壁打ち状態。
(壁打ち: フォロー、フォロワーがほぼゼロで一人でツイートし続けること)
なので、つまり"仲間"が居ない状態ということで、誰にどう思われているかは一切わからない。
理解してもらえる可能性はある、っていうのは完全にイマジナリー仲間に対して思っている。
田渕さんと奥田さんへのきしょめの感情でも、誰かに何かを言われるわけではないので精神衛生上、非常に良い気はしている。
壁打ちTwitterの話はおいといて。
他にもTwitter感のある文面だとこうなりそう。
・「スリーピース……やば…………😇🙏」 肯定的な感じがする。
・「スリーピースwwwやばいwwww」 ちょっとバカにしてる感出る。
・「スリーピース!!!?!?!!は?!!??!や!ば!い!」 興奮状態。
3つ目に関しては"興奮度"は伝わるけど、「良くなさすぎて」興奮しているのか、「良すぎ」て興奮しているのか、微妙なところ?
と今、気付いた。
(そこはかとなくオタクっぽいのが出てしまっているな)
感情を「一言」で済ませない、というのもとても大事だと思う。
「やばい」という一言を「何がどうやばいのか」と説明できるようになりたい。
「やばい」にはあらゆる状況、感情がつまっているからこそ便利だと思うけど。
いろんな素材や調味料やらがギュウウウって濃縮された「やばい」と
なんの苦労もなくついついポロッと出ました、みたいな「やばい」では、
その違いは伝わるのか?
例えば対面だったら、こう、身体的な反応としてグググッとなったりとか、あたふたしたり、悶絶したり、目見開いたり、言葉にできないもどかしさとか。
小さい声で言う「やばい」、興奮気味に言う「やばい」
そういうものを視覚的、聴覚的に捉えたうえで「やばい」を聞いたら、
ああ、本当にやばそうだ、って思うけども。
無表情で「やばい」と言われても「何がやばい、全然やばそうじゃない」って話なわけで。
それが文面だと余計に伝わらない可能性は大きい。
万能すぎて、便利すぎて、安易に使えすぎるがゆえに扱いが難しい。
昨日書いた『「感謝しかない」を考えてみた』で、
もうとにかくなによりひたすらただただ「感謝」を伝えたいっていう時に「感謝しかない」を使う、
ということを書いたけど。
それと同じように、こう、なんというか、もう、とにかくひたすらただやばい、って時もあるよね。
そういう時にはやっぱり「なにがやばい」を述べるよりは「やばい」というたった一言がインパクトは強いと思う。
「やばい」を考え始めたら沼すぎてやばい。
まあ、私なんかが考えなくても、言語学者とかなんか偉い人たちがものすごい考えてるはずだ、たぶん。
しかも「やばい」の最初など覚えてないけど、随分経つ気がするし。
とっくに研究されているはず。
奥田さんのスリーピースがあまりにもやばかったので、ついつい「やばい」について考えてしまった。
ちなみに、突然ですけど。
前の衣装でのガクテンソク 東名阪単独ツアー 諸行無常のポスタービジュアルがやばいのでぜひ見てください。
……これじゃあ、ポスター見てない人に「どんなポスターか」と伝わる可能性はゼロに近い。
「どうやばいのか」と見てくれる人はいる?
ガクテンソク東名阪単独ツアー 諸行無常のポスタービジュアルが、とてつもなくかっこよく、激渋で、これぞ40の色気よ、って感じなのでぜひ見てください。
……ちょっと長い?
そしてこれだと「とてつもなくかっこいい」「激渋」「これぞ40の色気」は完全に個人の主観でしかないってことに気付いた。
あっ、"宣伝"しようとするとそういうことになるのか。
そうなると「やばい」の方が興味を持ってもらえそうな気はする。
「やばい」が奥深すぎてやばい…… 泣いちゃう……
こんなやばいnoteを読んでいるあなた、まじやばい。
――これは
「こんなおもしろくもないくだらないnoteを読んでるあなたは本当におかしい」
と取られるかもしれないし、
「こんな素晴らしいnoteを読んでるあなた本当に素敵」
と取られるかもしれない。
私の中では
「こんな、ただ奥田さんへのきしょめの感情を壁打ちしてるだけのようなnoteを、ここまで読んでくれたあなたは本当に聖人のようなとても素敵な人ですね」という気持ちがあった。
ついに「やばい」を説明できました。
やっぱり「やばい」は難しい。
もう私がただの「やばい人」だよ。
……私がどんな人かって捉えるのも、読んでくれている方次第だね。
読んでいただいて、本当にありがとうございます。
2022.07.17 もげら
翌日、奥田さんが「やばい」を超えてきた話。