『結論』の偉大さ。
こんばんは、もげらです。
今日のnoteを書こう、とカタカタとキーボードを叩いていた。
けれど途中で「なにか違うな」となって、整理し直してからにしようと下書きに保存して、また真っ白なページを開いた今。
さて、何を書こうか。
文章は、思いつきで書いていいものか否か。
「今日はこれ書こう」と思いついて書き始めるて、すんなりまとまってくれたらいいけれど、毎回そうではない。
時々はスーっとまっすぐに進んでいくこともあるけど、それはたまたまとか、運がいいとかなんだと思う。
特に考えることは出てこない、ということも稀にはある。
たいていがうまくいかない。
意外とあれこれと考えが出てくる。
なんとなく感じていたけれど、文章における「削る」の作業がどうにも苦手らしい。
あれも伝えたい、これも伝えたい、この書き方で伝わるのか、こっちも入れておいた方がいいのか——、
気付けば全部盛りの出来上がり。
文章で胸やけしちゃう。
推敲が大事だというのはよく聞く話。
私の場合、推敲すればするほど「ここは足りないんじゃ……」と思えてきてしまう。
自信のなさ、というものが文章に出ている気がしてきた。
自分の書いている文章に自信がないので、言い訳みたいな文が追加されていくし、セルフツッコミが増えていく。
……というのは、今、浮かんできた考えなわけなんだけれど。
心当たりがありすぎる。
浮かんできた考えを次々と書いていく、けれど、『浮かんできた考え』っていうのはまだ自分のものになっていない、というか。
だから自信がもてなくて、「いや、今浮かんだだけやからさ、うん、知らんけど」みたいな。
その結果、元々全部盛りだった文章に、言い訳とセルフツッコミ増し増しになった文章が出来上がる。
(ちなみに「知らんけど」は近畿、関西あたりの人が使うもはや口癖のようなもので「責任持てないけど」みたいな意味が含まれる)
今もほぼ思い付きで書いているので話があちこちに飛びそう。
そういう書き方はよくないんじゃないかと思う一方で、アリなのでは、とも思っている。
自信のなさ。矛盾。優柔不断。
「こういうのはよくない」と一本の筋があれば、それに向かって進んでいけるのに。
「いやいやでもさ、」と思い始めるからよくない。
文章の書き方でよく言われる『結論』が出せていないんだろうな。
『(自分なりの)結論』を出していない状態での、思い付きというのはなかなか性質が悪い。自信がないから、自分の結論にさえ自信がないともいえる。
今もまた「結論が出ていない、ぐだぐだ書いている感じもいいのでは」なんて思い始めている。
でもこんな『結論』のない文章は誰も読みたがらない、というのもおそらく文章の書き方みたいな本には書いてあるんだろう。
いや、もしかしたらそういう文にこそ価値を感じてくれる人もいるかもしれないぞ、って思い始めたので、本当によくない。
永遠に終わりが見えない。
結論がないから、どこが必要なくて、どこを削ればいいのかがわからない。
自信がない。結論がない。
「削る」のが苦手な理由はこれだ、たぶん。
あれも伝えたい、これも伝えたい、これで伝わるだろうか、こっちのほうがいいだろうか、
そんな数多ある伝えたいことから、「本当に、一番、最も、絶対に伝えたいこと」を選び出さないといけないのが『結論』か。
『結論』って道しるべみたいなものだ、とここでやっと気付く。
別に"考察的な結論"じゃなくても、たとえば日記でも『〇〇があった、ということを書く』っていう結論があって、『〇〇があった』という文章になる。はず。
そんな文章ではおもしろみがない、というのは一旦置いといて。
もしかして『結論なんてない』っていう『結論』でもいいのかな……?
まあ、世の中にはそういうことが多々あるとは思うけれど。
『結論がないっていう結論』だとしたら、なぜ結論がないのかということを書いていけばいいわけで。
なるほど。
『結論』ってめちゃくちゃ優秀やん……
それがあるだけで、なんかちょっとはちゃんとした文に見えそうやん……
っていう幻想も抱かせてくれている。
『結論』…… 偉大すぎる……!
疎かにしてすみませんでした。
まあ、もちろん、結論を求めて読む人たちにとっては『結論のない文章』ほど無意味な文章はないとは思う。
結局、文章の価値というのは、読んでくれたかたが決めるものだから。
いや、文章書くのむずかし!!
今日の結論: 文章書くの難しい
もしも私の文章になにかしらの価値を感じてもらえたのなら幸いです、今日も読んでいただきありがとうございます!
2022.07.26 もげら