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第33首:ひと言を 添えたい気持ちを ただ堪えて 黙って見守る 親の心よ


親子でも「おたがいさま」ですね…

子育て卒業し、親の頑張りはただ「耐える」ことだった…

子どもが高校を卒業し20歳(今は成人は18歳ですが)を迎えた時に感じた子育て卒業の解放感はいつでもどこでも踊り出したい気分でした。
子育ては、最も難易度が高く逃げ出すことができない修行のようなものであるのと同時に最も幸せを得られるという人間の営みの中で希少&貴重なものなのかもしれません。
卒業に至るまでの道は紆余曲線試行錯誤暗中模索、はたまた絶体絶命…挙げたらキリがありません。でも、こうして無事に自分自身も含めて生き抜いてこられたことに感謝しかありません。結局、親子関係も一期一会なのだと思います。

先に生まれた者として、子どもに対して自分の経験から「あぁすればいいのに」「こうすればいいのに」と思ってしまうのは、人間の業(ごう)というものでしょう。
彼らからすれば初めての出来事でも、先の筋書きをなんとなく知っている親は、ついリスク回避を考え、成功への最短ルートを示して、小言が増えてしまうということは親であればだれもが経験することだと思います。

人生経験を重ねた人間として、子どもに教えられることは何でも伝えたいという欲を持っていた私は、かつて、(本当はまだなーんにも分かっていない)我が子に、あれこれと教えて躾をすれば、一人前の大人になれると思っていました。
この願いが単なる自分のエゴで勘違いだったことを知ったのは、我が子が小学校2年の時。ある出逢いがきっかけです。この出逢いで私は目からウロコのパラダイムシフトを起こし、まるで大化の改新(今は乙巳の変というそうですね)のようにたった1日で180度方針転換をすることにしたのです。

親が先に言わないこと…これ、マジで忍耐

何をしたか?といいますと、
まずは「先走りしない」「心配しない」ことを常に自分に言い聞かせるでした。子どもに何かをする、何かを言う…のではなく、私自身に「言い聞かせる」日々が始まったのです。
子どもが行動を起こそうとしたとき、その先に、失敗やしくじりが明確に見えたとしても黙って見守る…ということです。

例えば、学校の準備(ランドセルの中身のチェック)。学校の先生からは「親御さんも協力してください」というお願いがありましたが、私は個人面談の時に「学校の準備は自分でやることにしましたので、ご迷惑をおかけするかもしれませんので先に謝ります」と伝えました(代わりに、玄関のところに「ランドセルチェックした?」の紙を貼っておき(一応)子どもが気づくようにしていましたが)。そんな感じで、いわゆる『見て見ぬふり』をすることにしたのです。

子どもが元気がない様子を見せても、いちいち「大丈夫?」「何かあったの?」とは聞きませんでした。分かっていても…気になっても…子どもから話が出るまで私は通常運転、気づかないふり、知らないふり。
これが、マジで大変で大変で…。

ここまま進むと川に落ちる…を黙って見守る忍耐

「このまま歩いていくと…(先にある)川にドボンと落ちるよ…」というようなことを、見て分かっていながら口を出さないということはとてもエネルギーが要ります。手をグーにしてグッと堪える感覚…どれだけ味わったでしょうか。

そう考えると、私にとっての子育ては『忍耐』の一言に尽きます。
小言や心配の声かけは、親が言おうとすればいくらでも言えちゃうんです。これをガマンするのはとてもエネルギーが要りました。
子どもは小銭は欲しがりますが小言は嫌いです。耳の痛い話は結局は受け取ってくれません。それが解ると、イヤなことをしても効果がないことが分かってきます。

苦行からの解放はずーっと後になってから

この忍耐を何年続けたでしょうか…。
耐えに耐えて十ウン年。子育て卒業を迎え、いまでも「ゔっ…」とくることはありますが、だいぶ解放されて、私は私のために時間を使い家族がそれぞれ自分の時間を大切にできるようになったことが、もし私の忍耐によるご褒美だとしたら、「マジ、頑張ったね、ジブン♪」と自分で自分を褒めてあげたいです。

小言も親心、愛なんです。

親の小言にイライラしている方もいるでしょう。言い訳させてください。それも愛なんです。
子どものためを思って…こその小言です。
でも、それが「愛」だということに気づくのは、自分が親になってからなのですし、小言ではなく、お互いに心地よい「愛」のかたちに変えることができることを知るのも、子どもを持ってからだと思います。

親の小言や干渉にうるさいなー!と思う人は、百歩、いや、一万歩譲って、親の「愛」だと思って勘弁してください。そして、愛を込めて「もう、あなたの小言は不要です」と力強く主張してはどうでしょう?「今後は、小言じゃない愛を。ただ黙ってそこに居て…」とリクエストしてみたらどうでしょう。
そして、親のほうは、子どもからのそんなリクエストに愛を込めて「あぁ、それだけ成長したんだなぁ…。頑張って子育てしてきたんだなぁ…」と自分自身を褒めてみるのはいかがでしょう。

子どもは子どもの人生、そして、子育てを卒業した自分は自分の人生を歩いていく…。二人三脚は子どもがまだ「子ども」のうち。いずれ大人になり、親を軽ーく超えていくのですからその背中を笑って見届けたいですし、気づいたらずっと前を歩いていて見失いそう…くらいがちょうどいいのかなぁ、と思う今日この頃です。

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