
第19首:あと少し もうひと口の 甘い罠 美味いんだもの 仕方ないでしょ

GW後から言い始まる恒例の「痩せなくちゃ」
セーターがシャツ一枚に、シャツ一枚が半袖に…
温かくなり薄着になると、必ず気になる我が豊満ボディ。
“ダイエット”や“痩せ”という言葉が口に出るのは、毎年GWが明けたころ。全く結果を出せないくせに、よくもまあ同じことを言えるものだと自分自身に呆れますが、長い冬の間に、来たる春や夏のことを考えて行動できるくらいなら、こんなカラダを世の中に晒していません。
愚かだねぇ…人間は。(映画『不能犯』の松坂桃李くんに言われた気分)
自分が愚かだということは重々承知ですが、どうしてもやめられない「あとひと口」「もう少し」の食欲。若さや体力への喪失感は「おいしい!」で埋めるしかないんです。
“魅せる”こと…から“魅せられる”へ
バブル時代の隅っこをほんの少しかじった20代の私は、多くの女性たちと同様、頭のてっぺんから爪の先までブランド品に身を包むことに喜びを感じていました。それらを身に纏うことができた体形だった、ということもありますが、当時の私は、身を飾ることに喜びを感じ、そのために労働へのモチベーションを高めるしか方法がありませんでした。クジャクが美しい羽(オスですけど)を広げるように、ジュディ・オングが「Wind is blowing…」と歌いながら両手を広げたように…。
“魅せる”ことへの執念は若さの象徴なのかもしれません。
“魅せる”という言葉が自分の辞書から削除され、代わりに“美味しさ”ばかりを求めるようになり、今は食べることへの執念が募ります。これを「元気な証拠」という聞こえのいい理由を付けて…結局、「美味しい!」だけが、今の私に残された分かりやすい喜びであり、幸せなのです。
魅せたい人も魅せる場もないし、そのために着飾れるカラダもない。足るを知り、今に感謝の心を得ると、自分を“魅せる”ためのモノが全く要らなくなりました。でも、満たされたい何か…からの「美味しさ追求」です、きっと…。
美味しいものをいただいていると、本当に幸せです。
見た目、におい、味、食感…テーブルに乗せられたごちそうは、私をすっかり魅了します。
今は私が、テーブルの上に乗る数々の料理に「魅せられて」います。
結果、ついつい食べ過ぎて…
そんな、幸せの追求のために日々精進をしているうちに、カラダばかりが立派になって、冬は終わり春がやってきて…
薄手の服、半袖に手を通すと
「ゲッ!ヤバッ!」
と、毎年、拡大更新されていく我が身に驚くのです。
ジュディ・オングは、
好きな男の腕の中でも
ちがう男の夢を見るぅ~♪
ですが、私は、
好きなモノを食べている中でも
ちがう食べ物の欲が出るぅ~♪
でございます。
ジュディは女心、私は食欲を歌いますよ。
ですから、
うつく~しすぎ~ると こ~わくなーるー♪
は
ふとり~すぎる~と こ~わくな~るー♪
ということになりますね…。
★最上川えつこのデビュー作『アラフィフ歌会始』
Kindle & Kindleペーパーバックにて販売中です ▼▼▼