私のホストファミリー
私はどちらかというとダサめで、髪は剛毛、クラスのヒエラルキーでいうとちびまる子ちゃんぐらいの高校生だった。そんな私がNZ留学で出会ったホストマザーは、NZ原住民であるマオリの血が流れているファンキーなママだった。車の中の音楽ボリュームは大音量、車はいつもリズムカルに揺れていた。髪はクルクルパーマで体は大きく、Fワードもよく口走っていたので、とりあえず逆らわないように気をつけていたが、普段は優しく、家族を明るくする人だった。一番衝撃的だったのは、深酒しすぎた日に、椅子を窓から庭に投げちゃった時だったが、あの時はホストファミリーを変更させられないかと心配になった。
当時12歳の娘はスタンドバイミーのリバーフェニックスの大ファンで、何度もビデオを見返してはテレビに向かってキスをしていた。よく私の部屋に来ては、キスの体験はあるかと聞いてきた気がする。勝手にタンスを開けては、この服はダサいだのいけてるだのケチをつけていた。笑
2歳のカイラブは、人見知りが激しく…私を遠くからじぃーと見つめることが多かった。クリクリヘアーで青い目の可愛い赤ちゃんだった。ユーモアのあるパパは、新聞配達の仕事をしていて、怪しげな自家製ビールを作ったりしていて人生は謳歌していた。腕にはタトゥーがあり、典型的な田舎のおじさんだった。
自分の家庭とは違いすぎる、もう一つの家族。違う家の価値観や文化を知るのは貴重な体験だった。お皿洗いの石鹸はシャンプーだったし、シャワーも10分以内、長電話も禁止、洗い物は決められた日にきちんと出さないとママが怖い、金曜日は映画や友人を呼んで楽しむ日…などなど。決して完璧ではない家族だと思う。でもだからこそ日々に喜怒哀楽があり、1年を通じて色々な一面を知ることができた。一方、私の友人のホストファミリーは献身的なクリスチャン家庭で、日々のルーティンを大切にした暮らしをしているようだった。ちょっと他の家が羨ましく思えた時もあったが、それでもこのファンキー家族が私の新たな家族になった。
2022年8月、当時2歳だったカイラブは酔っ払った勢いで事故にあって亡くなった。愉快なパパは、病気で早くに亡くなった。あれから18年の時が流れ、色んな事が変わったはずだ。だけど、私のホストファミリーの思い出は今も色褪せず、生き続けている。最近はfacebookなるもので、世界のどこにいても繋がることもできる。ファンキーなママと妹と、これからも繋がり、またいつか会いに帰りたいと思う。
P.S 最近、facebookにあがったママの写真が相変わらずファンキーだったので共有します。狩猟でも始めたのかな…笑