Moeko Takagi
デジタルの力でリハビリをアソビに、をビジョンに活動するデジリハの国際展開室の活動についてまとめていきます。
前回のブログで紹介したとおり、5月10日から13日まで開催されたNagasaki Peace-preneur Forum 2024では、濃密な4日間を過ごしてきました。ここでは、参加したフォーラムの様子などについてご紹介いたします。 グローバルリーダーと平和について対話 初日は、各国から集まってきたグローバルリーダー達といっしょに、長崎原爆記念館や平和公園内を巡り、どんなことが起こったのか、いま、長崎は世界平和にむけてどのような活動を行っているのかといったことを平和ガイド
祖父から学んだ平和への思い 83歳で亡くなった祖父・船本弘毅は、キリスト教の伝道師として聖書の研究や講義活動をおこない、その生涯を終えました。 大学での講義、毎週の日曜礼拝、特別礼拝と日本中を駆け巡り、NHKラジオ「宗教の時間」では講師を勤めていました。講義は毎回時事性を取り入れてわかりやすい話をするために新聞の切り抜きを欠かさず、手が腱鞘炎になるほど何度も話す内容を推敲するなど、全力投球で原稿と向き合っている姿がとても印象的でした。厳格な祖父でしたが涙もろい一面があり
約10年間の日本財団勤務後、フリーランスとして、いくつかのソーシャルプロジェクト等に携わってきました。そのなかで、主におもちゃ美術館では地方の新規美術館構想計画のPMとしてお仕事もさせていただきました。財団在職中から、おもちゃインストラクターの資格を取得するなど、遊びを通じて子どもから大人まで、幅広い年齢層の人たちの創造性を育むおもちゃ美術館の活動に共感しお仕事をさせていただきました。 一方、私自身の「コミュニケーションを通じた平和の実現」というビジョンにおいて、アジアで活
「今年もお疲れ生でした。」というガッキーが可愛いいなとテレビを横目で流しつつ、今年の自分について振り返る… 1月 鎌倉生活をスタートし、リモートワークでできる仕事に優先順位を置き、あとは誰と働くかベースでやれる仕事を開始。 ・おもちゃ美術館をアジアに進出させることを目的に、まずは美術館建設のプロジェクトマネジャーの仕事をスタート。 ・ユーザーリサーチのアルバイトをスタート。 海外のクライアントを扱うUXデザイン事務所とのお仕事は、新しいサービスとの出会いがあり刺激があり、
今日、新しい私の名前が自動生成された。 その名もザンビア。 モバイルオーダーをしたら500円オフというお決まりのマーケティングに流され、登録をやっと完了したと思ったら命名された。とにかく早く冷たい飲み物が欲しかったので、その名前のままオーダーしたのが元凶だった。 受け取り口でまさかのザンビア連呼 「ザンビア様ぁ〜、ザンビア様ぁ〜」 「はい、私がザンビアです。」と名乗り出るしか選択肢はなかったわけだが、モバイルオーダーやねんから呼ばんとってくれやとツッコミたい。 クリスマ
今年最後の変化は、新聞を取り始めたことだろう。1週間ほど前から朝刊を取り始めた。昔、父が会社に行く前に必ず読んでいた新聞。前職の職場にはメジャー5紙の新聞がそろっていて、毎日読んでいた日々。私にとって新聞はなんでも検索できるネットニュースより、信頼感があり、何より自分が知っていることや探していること以外の事も教えてくれる「発見」を楽しめるメディアなのだ。 さて、そんな新聞から、今日面白い言葉を発見した「ゴブリンモード」。 意味は、悪びれることなくわがままに怠けたり、だらし
うちの家では、絵本を含め、様々な本を通じて社会を学ぶ文化がある(私を除いて)。本なら惜しみなくお金をかけようという方針で、私は娘の絵本をよく選んで購入するようにしている。私が幼い頃に好きだった本、話題の本、いただいた本、うちの本棚は大人が見てもワクワクする。 今日は、珍しく旦那が絵本を買ってきた「わたしは反対! 社会をかえたアメリカ最高裁判事ルース・ベイダー・ギンズバーグ」という新刊の絵本が本棚に並んだ。ポップなカラーリングに英語がちらほら。まだ4歳の子供には文字量も多く感
私はドラマや映画で、ものっすごく泣くタイプだ。 今回は、話題作であり、人の切なさが心に響くこともあり、毎回欠かさずこの作品を見ているが、第6話は大号泣だった。生まれつき耳が聞こえない女性が失恋する直前で、彼女の恋心が描かれた回だった。 手話を通じて、知り合った2人の思い出シーンが静かに美しく思えた。 さて、実は私にとって手話は、身近な第二言語だと言える。手話との出会いは、小学3年生の時。担任の先生が、手話で「あいうえお」を教えてくれた。うちに帰って、母に手話を見せたら、その
私の記憶力はかなり弱い。だけど、子供の頃に唯一覚えられた詩がある。宮沢賢治の雨にも負けずという詩だ。 『雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けぬ 丈夫なからだを持ち 欲は無く 決して瞋からず 何時も静かに笑っている 一日に玄米四合と 味噌と少しの野菜を食べ あらゆる事を自分を勘定に入れずに 良く見聞きし判り そして忘れず 野原の松の林の影の 小さな萱葺きの小屋に居て 東に病気の子供あれば 行って看病してやり 西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を背負い 南に死に
と、祖母が言った。旧約聖書のコヘレトの言葉として有名な一説だ。 私は祖母に愚痴をこぼしていた。サラリーマンでいたら今頃給料はアップしてたんだろうな。これから大学院に行きたいと思ってるけど、正しい道なのかわからないなとか…。 それに対して、祖母は すべてには時がある。自分で決めたことをやりなさいと言ってくれた。すべての時は神様とともに、自分が決めている。案ずるなかれってことなんだろうか。 昔一緒に働いた理系ボスが言った「宗教ってさ、人から考えるってことを奪うから嫌なんだよ
私はどちらかというとダサめで、髪は剛毛、クラスのヒエラルキーでいうとちびまる子ちゃんぐらいの高校生だった。そんな私がNZ留学で出会ったホストマザーは、NZ原住民であるマオリの血が流れているファンキーなママだった。車の中の音楽ボリュームは大音量、車はいつもリズムカルに揺れていた。髪はクルクルパーマで体は大きく、Fワードもよく口走っていたので、とりあえず逆らわないように気をつけていたが、普段は優しく、家族を明るくする人だった。一番衝撃的だったのは、深酒しすぎた日に、椅子を窓から庭
私の祖父は、私にベタ甘だった。自分のことをおじいちゃんと呼ばれたくなくて、私にはパパというニックネームをつけて呼ばせていた。おじいちゃんがパパって、父親ちゃうやん!と認識したのはかなり成長してから。ちなみに祖母のことは、名前の恵(けい)から、けいちゃんと呼んでいた。他人からしたら、何が何だかわからない関係性に見えただろう。 そんな祖父は、牧師であり、神学の学者だった。 ショートスリーパーで、祖父が寝ているところは見たことがなかった。いつも書斎にこもって書き物をし、出版した本
↑衝撃的な絵本タイトルでした。 ビビっときて、中を開くと、更にビビビっ。 著者バードベイラー、ピーターパーネル、訳北村耕平というアメリカ先住民の文化や精神世界の専門家達によって出版された絵本で、一生の友達となってくれる石を見つける10の方法が書かれている。 実は、私には6歳ごろから大事にしている(正確には、大事にしていなくても失くなっていない)石がある。昔、家族で北海道旅行に行った際に父がたまたた拾って、ロングドライブ中に石に絵を描いたら?とくれた石だ。手のひらサイズで、大
ファッションは、無課金か課金か。 蒼井優さんの旦那、山ちゃんが田中みなみさんにファッションがダサいと指摘を受けた記事を読んだ。 田中みなみさんも、人のことなのにうるさいなと思いつつ、山ちゃんが奥さんに「自分のファッション、ダサいと思ってた?」と聞いたら、ダサいというか、山ちゃんのファッションは課金ゲームでいうところの、まだ無課金状態だから、気にしてなかったと言ったというのだ。 ちなみに私は、ファッションが好きだ。自分の似合う色や形を模索しながら楽しんできた。課金もたくさん
テレビでも、なんとなく人が良さそうな人、性格が悪そうな人、本当に楽しそうな雰囲気って伝わる。 小学生5年生の時に鍵っ子だった私は、18時から始まるフルハウスを1人で見ながらゲラゲラ笑っていた。わざと大きな声を出して、誰かに叱られないか試すように…。英語なんてアルファベットのaも知らない頃、外国なんて一度も行ったこともないし興味もなかった頃だったのに、フルハウスは違和感なく見れたドラマだった。母を失くし、シングルファーザーとして子どもを育てるドラマなのに、コメディアンの親友や、
静岡という土地は、とにかく自然が素晴らしい。市内から20分も車を飛ばせば山の中、15分も行けば海岸線にでることができる。海岸沿いの石垣にはブランド化された石垣いちごが練乳つきで食べ放題。贈答品の温室メロンで有名なマスクメロンも静岡。とにかく、私は静岡の自然のおかげで自由奔放な幼少期を過ごさせてもらった。 週末になるとよく出かけた山奥で私は山椒魚(サンショウウオ)出会った。サンショウウオとは、澄んだ水にしか住まない両生類で、トカゲのような形をしたこんにゃくみたいな肌触りのする