フェリックス・ガタリ『カフカの夢分析』(杉村昌昭 訳/水声社)

2月24日に「日本ガタリカンファレンス2024」(2024年に出版された3つのフェリックス・ガタリに関連する著作の合評会)のイベントがあるので、手に取った。
ドゥルーズ=ガタリのファンではあるが、ガタリの単著はまだ読んだことがない。
さて、どんなものか。/

◯「第一章 カフカの六十五の夢」:
【「ささいな出来事は、大きな出来事の突発とともに、その外的性格を喪失する」。それに付随して、いくつかの夢のテクストは、文学的テクストと識別ができなくなる。また、その逆の事態も生じる。(略)しかし、この特異性の特徴の新たな使用法がもっともはっきりと示されるのは、『訴訟』においてである。けれども、奇妙なことに、二つの夢がこの作品の草稿から削除されている。この特異性の《破壊》あるいは無効化は、カフカがわれわれの手元に残されたこの作品の各章にほどこそうとした本当の順序を再構成することができたら、おそらくもっと明白になるだろう。
というのも、彼には、この小説をわれわれが知っているような破局的な結末に導いていくつもりはなかった、という仮説を支持するだけの妥当な根拠があると思われるからである。
逆に、彼はこの小説の主人公を一種のイニシエーションの過程を通して─《修行時代》というゲーテ的テーマの幻想的な再演─を導き、最後には、その過程/訴訟から《癒される》という結末にもっていこうとしたという仮説が可能なのである。】/

興味深い仮説であり、充分あり得る話ではあるが、この仮説の根拠が示されていないのが、はなはだ残念だ。/


◯「第四章 カフカ映画のためのプロジェクト」:
この章が一番興味深かった。
ガタリは、1980年代に、カフカの作品をもとにして映画をつくろうと計画しており、たくさんの下書きや作業工程が残されているというのだ。
その中から、ここでは以下の四つの未発表テクストが紹介されている。
(1)「作業計画」 
(2) 「補足的ノート」 
(3) 「映画の第一部のシナリオ」 
(4) 「映画の第一部のコンテ」 /

[第一部のシナリオ]から引用する。 

【夜走る二輪馬車。紫がかった燐光を発する馬。滑るような、粘つくようなイメージ(略)。 

馬車は猛烈なスピードで壁に衝突し、突っ込む。先頭部分が砕け散る。 

(『田舎医者』を参照)。 

(略) 

─『判決』の若者が橋のてすりを飛び越す。 

─『訴訟』のKが殺される数秒前。遠くで窓越しに手を振る。】/

誰か、このシナリオを元に映画を作ってもらえないだろうか?
死ぬ前にぜひ観てみたいものだ。/


◯「訳者あとがき」:
最後にガタリの言葉を引用しておきたい。/

【カフカはあまりにも長い間、十九世紀の文学者として描かれてきた。しかし、社会的無意識に対する彼の過程的接近からすれば、実際には、彼は二十一世紀の作家として位置づけるべきであり、二十一世紀の映画を予示する作家といえるだろう。】

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