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フィリピン渡航で改めて感じたフィリピン 私はやっぱり、この国のために何かしたい。

**ハグと笑顔の嵐。人懐こい、フィリピンキッズはいつも私たちを虜にする **

2019年9月

2020年2月にフィリピンで行う予定のファッションショーに向けて、学生支部メンバー・そして団体の代表とマニラに行って来ました。

まずはパヤタスに住む、ファッションショー出演予定の子供達に会いに。

マニラのケソン市にあるパヤタス、以前はマニラの中で最も大きなゴミ集積所(ゴミ山)の一つでした。

そして、ゴミ山の崩落事故をきっかけに政府が2018年にゴミ山の閉鎖を決定。

しかし、久々に訪れて自分の目で見たパヤタスには以前ほどでは無いにしても、未だにたくさんのゴミが集まって来ていました。ゴミ山とまでは行かなくても、ところどころでゴミ集積所のような場所を目にしました。

そんな場所に私たちのファッションショーのモデルとなる、子供たちは暮らしています。毎度のごとく、私たちが到着すると超笑顔でwelcome体制してくれます。もう自由時間が始まったら、学生メンバーにハグして!とか鬼ごっこしょう!とか、手書きの付箋ラブレターくれたり、なんて人懐っこいんだ。。。って思うんですよ。

パヤタスは確かに貧しい地域で、そこで暮らすみんなは、私たちには想像し難い家に住み、生活環境も必要最低限。でも、家族の愛には溢れている子が多くて、貧しくても学校に通って欲しいと思っている親御さんも多い。だから、笑顔を振りまき、こうやって私たちにも愛を与えてくれる子供達に育っているのだと思うと、本当に、子供の成長に周囲からの愛情と教育は切り離せないなと感じるのです。

単発じゃダメ。継続的な支援ではじめて、意味を成す。

次の日は私がマニラ在住時にボランティアをしていた、ストリートチルドレンの保護施設に。彼らも2月のファッションショーのモデルになります。

私がマニラを離れてから半年だけしか経っていないのに、メンバーがほとんど総変わりしていて、私の可愛がっていた弟たちは、施設を出ていました。前のNoteの投稿のようにストリートに逃げ戻った子もいれば、いとこや叔母などの家族に引き取られた子、学校についていけず、友達の家を泊まり歩いている子。みんながみんなきちんと巣立っていったわけではありませんでした。私にとっては、たった半年でした。でも彼らにとってはどうだったのかな。もし万が一、私が残っていたら施設にいてくれたのかなと思うと、いたたまれません。

もちろん一概には言えませんが、今まで現地のスタッフの方の話を聞いている限りでは、やっぱり、貧しいとはいえ家族と暮らし、家族の愛情を受けているパヤタスの子供達と比べると、この保護施設にいた子供達・いる子供達は複雑な家庭環境を持っていたり、実の親に捨てられた子供や貧しさのあまり、軽犯罪に手を染めてしまった子供達。愛情に飢えている子供が多くて、だから私の中では時間をかけて彼らとの関係値を築いたつもりだったし、彼らも段々心を開いてくれていたのを実感していました。最初はやんちゃだったみんなが、思いやりを持って周りに接することができるようになっていたことも感じていました。でも、私がいた1年間、もっと色々なことを教えてあげれたのでは。彼らが、貧困の渦に戻らないように、気持ちの面でも技術的な面でも、教えて上げることがあったんじゃないかなって思ってしまいます。だからこそボランティアって単発じゃなダメで、継続的な支援が必要ということを身を以て実感できました。お金の問題だけじゃない。心のケアこそ、時間をかけて継続的に行って行かないといけません。

彼らと一緒に成長する。

そして一緒に明るい未来を創る。

あくる日からの3日間は、マニラのバゴンシーラン・エルミタ・マラテという地域のストリートチルドレンにも会いに行き、ファッションショーのモデルになる子を探しに行きました。

これも日本では想像し難いけど、ストリートチルドレンといってもNGO団体の監視の元、ストリートで暮らす子供達や家族がいたり、そういった子供達を定期的に集めて衛生教育をしたり、健康診断をしたり、食べ物の配給活動をするNGO団体もたくさんあります。だから、ひと昔前にメディアで放送されていたような、路上でガリガリにやせ細った子供が一人で、ダンボール一枚で寝ているというイメージを想像しがちですが、ストリートにはストリートのコミュニティがあって、何人かで、ダンボールとか捨てられた物とか家具とかを使って住んでいるという感じです。ただもちろん、劣悪な環境には変わりないし、慈善活動だけでは限界があります。みんなやせ細っているし、背は小さいし、目が充血していたり、路上で吐いてしまっている子もいました。

そういったところで子供たちと触れ合う時、この言葉が適切なのかは分からないですが、私はいつも彼らの事を心から尊敬するんです。

私がもしストリートで生まれて、そうやって育ってきたら、もっと卑屈になっている気がするんです。見知らぬ日本人が大勢やってきて、その人たちに笑顔で挨拶できるのかな。拙い英語で会話をしよう質問しようって思えるのかな。ハグして〜って見知らぬ人に言えるのかな。なのに彼らは笑顔で、興味津々に色々な事を聞いてくれる。来てくれてありがとうと言ってくれる。純粋に逞しいなっ優しいなって思うんです。

だからやっぱり彼らのことを私は可哀想という表現はしたくないし、恵まれない子供とも呼びたくない。彼らは私以上に素晴らしい可能性を秘めています。でもその可能性を引き出すべき場所が、生まれた環境で左右される不平等、それだけは無くしたい。改めて自分たちが行う活動の未来が見えた気がしました。

私は彼らに何かを与えるとかそうゆうのじゃなくて、一緒に。。。

明るい未来を歩んでいきたいし、私たちの手でそうゆう未来を創っていきたいなと思っています。未熟者の私は、まず彼らと一緒にたくさんたくさん成長していきたいなって思っています:)


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