「綺麗事と思われても、世界をフェアにしたい。その夢を叶えるために、フィリピンでファッションスクールを立ち上げます!」
フィリピンにハマらない人いるの?ぐらいフィリピン推しになった理由(本当に皆さん一度は来て欲しい)
2014年に大学を卒業してから、日本の旅行会社に勤務しました。
3年間日本でバリバリ残業して働いて、4年目マニラの駐在が決まりました。
速攻でマニラを好きになってしまいました笑
マニラを好きになった理由(というかフィリピンを好きになった理由)は
・とにかく人が明るい、おもろい、楽観的、ツッコミどころ満載で関西人は特にフィーリングが合う
・マニラは思っていたより都会で、オシャレなバー レストラン ナイトクラブがたくさんあり、そして物価も安い
・結果、日本にいるより、豪遊できる
・日本食がたくさん有り、クオリティが高いので食ロスがなかった
・綺麗なビーチや海がたくさんある
などなど。
ちなみにこの写真はフィリピンの有名ビーチリゾート ボラカイ島の海
これはフィリピン最後の秘境と言われるエルニドのラグーン
旅行会社で勤務していたことも有り、フィリピンの良いところを見て廻ったから、余計、フィリピンとフィリピン人の虜になるばかりでした。
何が彼らにとって幸せか。そんな答えのない疑問を繰り返して号泣した日
そんなこんなであっさり、フィリピンラバーになった私でしたが、そんな私には週末の楽しみがありました。駐在員のみなさまがゴルフに勤しむ中、私は郊外のある施設に、できるだけ週末に通っていました。
そこは日本のNPO「国境なき子供たち」のフィリピン支社が、伊藤忠の協賛で運営している施設で約10歳〜18歳までの「ストリートチルドレン」の少年たちが保護されている施設。
最初にその施設をインターネットで見つけて、訪れたときは、とっても緊張したし、不安でした。そこで保護されている子供達はもともとストリートチルドレンだから、悲しいバックグラウンドを持つ子も少なくないからです。
そんな最初の訪問で、笑顔で私を迎えてくれて、拙い英語でたくさん話してくれた少年がいました。それが私と彼の出会いでした。彼の名はプリンス。笑顔が素敵でダンスがとっても上手な少年。
何回か施設に通ううちに、最初はぎこちなかった子供達も心を開いてくれるのを感じました。私が来るたびに、超ウェルカム!してくれて、みんなでダンスをしたり、日本のおもちゃで遊んだり、巻き寿司パーティーもしました。子供達も自分から、色々と手伝ってくれたり、自分より幼い子や新しく入って来た子供たちの世話をしたり、あー子供ってこんな短期間でも大人になるんだなって実感して、我が子のように嬉しかったんです。
そんな中、ある日施設に行くとプリンスの姿がありませんでした。プリンスが脱走したと聞きました。理由はストリートに住む家族に会うため。
日本にはそもそも、ストリートチルドレンがいないから想像し難いけど、フィリピンには25万人のストリートチルドレンがいると言われており、一言にストリートチルドレンといってもその環境は様々。日本人がよく想像するのは、家族に育児放棄されたり、暴力を振るわれて、ストリートチルドレンになった子供たち。だけど、マニラには家族でストリートに住んでいる人たちもいます。ストリートにはストリートのコミュニティがあり、その中で、生まれた子供は親もストリートで暮らしています。プリンスはそういった環境で生まれて、貧しさのあまりに盗みをしたところを少年院に保護され、その施設に来た子供でした。
施設で家族と離されても、衣食住を提供されることが幸せなのか。
ストリートでも、十分にご飯が食べれなくても、家がなくても、家族と一緒に暮らすことが幸せなのか。
日本でぬくぬくと育ってきた私なんかには到底測れない幸せのものさし。
この施設ではこういったことはよくあると聞きました。
恵まれない子供たち。そんな言い方は絶対に使いたくない。だけど、この不平等は変えたい。私の夢を形にできるプロジェクトに出会った。
ストリートチルドレンの保護施設以外にも、私はクレイジージャーニーなどで少し話題となっているゴミ山付近のスラムなど、何回か足を運びました。
日本人の私たちが容易に想像できる生活ではないし、たまには胸を切るような悲しい話も聞来ました。
だけど、いつもそういったところに足を運ぶ度に、可哀想と思うことはありませんでした。彼らが彼女らが笑顔でたくましく生きているから。強く生きているから。純粋にそんな彼ら彼女らを、私はいつでも尊敬しています。
それでも、不平等が存在していることは確かで。こんな素敵な子供たちが、生まれた場所だけで、将来全てが決まってしまう。勉強したいことができない。なりたい自分になれない。生まれる場所だけは自分が選択できるわけがないのに。
そんな時に、私の人生を変えるプロジェクトに出会いました。
「ランウェイの上で夢を描く」発起人の西側あゆみちゃんが学生の時に始めた、このプロジェクト。彼女たちが行ったファッションショーは、フィリピンのストリートチルドレンやスラムに暮らす子供たちがランウェイのモデルになるというもの。
2019年2月にこのファッションショーを見に行きました。
私が行っていたボランティア先の少年たちが、キメキメ自信満々にランウェイを歩く姿。スラムの子供たちがキラキラ堂々とランウェイを歩く姿。みんなが上を向いて歩いていました。一人一人にスポットライトが当たっていたました。この経験と自信は絶対、この子たちの糧となる。色々な思いが込み上げて来て、一人でコソコソと涙しました笑
だけど、彼らは、ファッションショーが終わると、彼らの生活に戻って行きます。ランウェイの上で夢を描いたとしても、その夢を叶えることはおろか、夢に向かって努力する環境がないのが現実。
夢に向かってみんなが平等に努力できる社会を創る。だからフィリピンに子供達が無料で通えるファッションスクールを立ち上げる。
そのプロジェクトを始めることをファションショーで聞いた時、純粋に心の底から素敵な活動だと思いました。
何もかもがパーフェクトなタイミング。これは宇宙が私に、この船に乗ることを応援してくれてるのだと本気で思った笑
5年間働いた旅行会社を辞めることは前々から決めていて、転職活動もしていて東京の会社にも内定が決まっていた2019年春。
だから会社を辞めて次の会社の間のニート期間、私の相棒が働くメキシコと、大好きなブラジルを人生で2回目に訪れました。メキシコにいる間に西側あゆみちゃんからメッセージが来ました。偶然、お兄さんがメキシコで会社をされていたからです。そのままあゆみちゃんのSNSの投稿を見て、フィリピンのファッションスクールの立ち上げメンバーを募集していることを知知りました。
震えた。彼女に付いていきたいという気持ち。
私がやりたかったことやん。
だけど色々なことを考えました。
自分なんか何ができるんだという自信の無さ。
日本で働いて給料が一定にもらえることへの安心感。
昔からずっと気にして来た周りの目。
だけど、同時に何もかもが私の冒険を後押ししているように思えました。
まだニート期間という偶然。
メキシコとブラジルにいて、自分の気持ちに素直に生きている人に触れ合う環境。
そしてブラジルのファベーラ(スラム)の子供達と触れ合った時間。
この決断を下す前に偶然「アルケミスト」という本を読んでいて、「お前が何か望めば、宇宙の全てが協力してそれを実現するように助けてくれるよ。」という言葉を思い出しました。
(これはブラジルのファベーラで子供達に習字カルチャーを教えたとき)
世界をフェアにするために何かしたい。でもずっと何ができるか分からなかった。カタチにできなかった。それができる挑戦が目の前にある。今しかできないよ。
だから、ジャンプしました。
毎日いろんなことで悩みます。今までぶつかったことのない壁にぶつかります。だけど、絶対にカタチにしてみせます。
ということで次回の投稿は9月に立ち上げ準備&ファッションショー準備で行ったフィリピン渡航について、徒然なるままに書きたいと思います:)