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始皇帝と漢の武帝──専制君主はなぜ似るのか?

 歴史雑記059
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 始皇帝と漢の武帝は似ている。
 王朝の最盛期をもたらしたこと、その死後に急速に国家が凋落したこと、異能の士を登用したこと、長じて自らを引き立ててくれた後見者を退け親政したこと、外に異民族を討ったこと、法律に明るい人物を重用したこと、晩年に方術に傾倒したこと、都を出て巡狩したこと、封禅を行ったこと、大いに建築事業を行ったこと、跡継ぎの不幸……。
 『史記』『漢書』に記される事績を抽象化するほどに、彼らは似ている。
 なぜ彼らは似ているのか? 今回はそれは考えてみたい。

専制君主は似る


 そもそも、専制君主というのはある程度似るものである。ゆえに皇帝には類型がある。
 国内が安定し、外にその国威を発揚せんとすれば、勢い外征をしようということになるし、中国において外征となると北を筆頭に、西域や南方、朝鮮半島などどこを討つかというのはそのときどきの事情でしかない。
 たとえば武帝同様に朝鮮を討った皇帝には煬帝がいるし、晋の明帝曹叡は随分と小粒だが遼東の公孫氏を滅ぼしている。
 人材登用についても同様で、たとえば自らの意に沿う新たな政策を推進せんとすれば、則ち外戚や前代からの老臣に任せてはおれない。
 科挙の定着後は人材はもっぱら科挙官僚から選ぶことになるけれども、たとえば王安石の抜擢は神宗という変わった廟号を持つ皇帝の意思によるものである。
 変わった例としては永楽帝によって見出され、アフリカにまで至った宦官・鄭和があるが、海を征った張騫という趣をもってとらえることもできる。
 その他方術に凝ることは枚挙に遑がなく、唐代の後半になると皇帝が仙丹服用で怪死したり、代替わりによってその仙丹を勧めた道士が杖で殴り殺されたりするのだが、これはもうわざわざ書かなくてよいだろう。
 ともあれ、専制君主というだけで似る点はあるのである。
 しかし、それを差っ引いてみても、始皇帝と武帝は似ている。似すぎていると言ってもよいだろう。

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