墨家とはなにか──①墨家は「天下の顕学」
歴史雑記096
(本記事は月額500円の定期購読マガジンに含まれています)
※ヘッダ画像は『韓非子』顕学篇の冒頭部分
はじめに
今年はじめてのこのマガジンの更新である(遅くなって申し訳ない)。
最初は昨年読んだ歴史関連書の話など書こうと思っていたのだが(これはこれで書くつもり)、思うところあって、墨家の話をしたいと思う。
というのも、これまで何本か関連する記事を書いてきたのだが、そもそも「墨家とはなにか」について、きちんと私見を記していなかったからである。
墨家は僕の大学における研究の出発点であり、指導教官から「墨者」と言われる程度には(もちろんネタである)のめり込んでいたからだ。
そんなわけで、やや概説的にはなるが、墨家について記していこうと思う。
なお、本記事は「張良雑考」と同様に、書けたら更新するという形式をとるので、散発的に続いていくと思われることをお断りしておく。
『孟子』の伝える認識
中国といえば「儒教の国」というイメージのある方には意外かもしれないが、戦国期(開始年は諸説あるが、前221年の始皇帝による統一をもって終わる)に有力であった学派は、儒家だけではなかった。
漢代以降の歴史が、墨家や後述の楊朱学派などを忘却せしめたが、戦国期における諸学派の勢力というのは、「圧倒的優位の儒家とその他」というふうに簡単に理解することはできない。
孟子は前300年頃に没した、儒家の一流を自認する人物であったが、その死後間もなく成立したと考えられている『孟子』には、以下のように「儒家の危機」を思わせるような孟子言すらある。
ここから先は
1,986字
/
1画像
¥ 250
サポートは僕の生存のために使わせていただきます。借金の返済とか……。