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人柄を復原する難しさ──孔子・始皇帝・劉邦を例に

 歴史雑記117
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はじめに

 僕は中国古代史を専攻し、数年前から日本中世史の本を編集することが増えてきた。
 そうすると、どうしても羨ましいことが出てくる。
 日本中世史の主要な史料に「書状」があるが、なかには自筆のものや、家族宛の細々とした内容が記されたものもあり、当該人物の人柄がわかるのだ。
 しかし、中国古代史ではそうはいかない。
 かろうじて復原可能といえそうな最古が孔子、そしてその次はもう劉邦になってしまう。
 ちなみに、ふたりとも書状のようなものは残っていない。
 では、このふたりはどうして人柄に迫ることができるのか、そしてふたりの中間に位置し、知名度抜群ながら始皇帝の場合はなぜ不可能なのか……というのが今回のお題である。

中国古代史の史料

 中国の古代文明は漢字という文字を生み出した。
 ゆえに、文字史料じたいは日本よりもはるかに古くから存在する。
 甲骨、金文、簡牘、帛書などがそれである。この辺りの概説については、ここでは詳しく述べないので、興味のある方は以下の二書を参考にしてほしい。

 さて、これらの史料に刻まれ、鋳込まれ、書かれた文章というのは、基本的に誰かの人柄を伝えるようなものではない。
 いやいや、『左伝』や『史記』には面白いエピソードがたくさん載っているではないか、という声が聞こえてきそうだが、ああいった説話は歴史史料とはなり得ない。そもそも、同時代史料でなく、編纂物である。
 では、同じく編纂物によって伝えられる孔子について、どうして人柄を復原できると言えるのだろうか?

孔子と『論語』

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