「ハローワークへ通うこと」は恥ずかしいことじゃない
今日はハローワーク(以下:ハロワ)通所日だった。職員さんともだいぶ打ち解けて話せるようになったと思う。
今日は主に、一緒に求人票の閲覧をした。その中で就業時間の話になって、私がフルで働けるかどうかが今、体力的に不安です、と言うことを伝えさせていただいて。
それに対して職員さんが「無理をする必要は全然ないと思いますよ」と言ってくださった。それが私の気持ちを受け止めてくださった気がして、すごく嬉しくて安心できた。
そしてその後で「これは私の個人的な考えだけどね、」と置かれてから、「自分にとってスキルが身についたり、経験が積める仕事に就けるといいよね」と仰っていた。
よくある、そこに居ることが仕事になってしまうのではなくて、あくまでも自己成長のために、仕事ができるといいよねって。
そうだよなあって、改めて思った。
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なんか今日、ハロワで話をさせていただいたことで、私はいい意味で、吹っ切れた気がする。
ハロワに通って、得られるものはあっても、失うものは何も無いよなって、今は思える。
もしかしなくても、ハロワに通うことが、私はこれまで、恥ずかしかったんだと思う。言語化さえ、しなかったが。してしまったら、そう思っていることが明瞭になってしまって。私自身が、そう思っているんだと認めることが、怖かった。
でも実際に通ってみたら、全然そんなことは無かった。職員さんは毎回、親切丁寧に対応してくださるし、温かく迎え入れてくださるし。私のいいところ、たくさん見つけてくださるのも、自己効力感が高まるのを、毎回感じる。何を恥ずかしがっていたんだろう、と今は思う。
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恐らく私は明日、大学を卒業する。そうしたらもう、大学生と言う肩書きは剥奪される。次は"無職"と言う肩書きになるのだろう。哀れだよね。自業自得のくせにさ。
きっと、世間体を気にする私の一部分が今、ひょっこりと顔を覗かせているんだと思う。
結局、大学卒業までに就職が決まらなかったことが、ずっと劣等感だった。何よりも資格取得の道を退いたこと、受け入れているはずなのに、心のどこかで未だに引きずっている気がしてならない。やりたいことでも無いのに、何をそんなに引きずっているのだろうか。
周りの友達は、国試を受けて受かった人が多い。その頑張りは尊敬に値するものだし、受けてもいない私なんかが、おめでとうと口にすることすら、本当はあまりにも、烏滸がましいことなんだと思う。
だけど友達は優しいから、「美咲も卒業まで努力を重ねてきたよね」と伝えてくれるのに、私はひねくれている。その言葉を真っ直ぐ受け取れなかった。
でももう、それもやめる。
今日のハロワを終えて、なんかもう、背筋伸ばして、空に向かって、のび〜ってしたくなるくらいには、吹っ切れた。気持ちが落ち着いたのかな。
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読んでくださってありがとうございます。
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