勘弁してよ、SNS
昨夜、意図しないネットニュースとXのポストをたまたま目にした。不可避だった。どちらも聞いた事はあるな、程度の有名人。双方の本人垢同士でやり合っている様を、まじまじと見せつけられた。
内心、勘弁してよと思った。今に始まったことじゃないにしても、この頃、この類のものが多いような気がする。五輪選手のもの然り、有名人のもの然り。
今一度、問う。SNSは誰のもの?誰かの所有物?違うよね、公共の場だよね(って言う認識で合ってるのかな、それすら分からなくなってる)。
公共の場で、個人対個人(と言っても有名人の場合だとその後ろには事務所がついてるけども)がごちゃごちゃ揉めている時に、まあ揉めているって言うのか、片一方がもう片方を悪く言う、みたいな状況に陥った時に。どちらかを擁護してどちらかを悪とみなすんじゃなくて、一旦そこから安全な場所に逃げた方がいいんじゃないかな、退避した方がいいって私は思う。今の私みたいに。
気が狂いそうな程に心をずたずたにされるSNSなんて、今の私には価値なんて無いに等しい。だから私は逃げた。逃げて逃げて、画面じゃなくて、紙と向き合った。久しぶりにノートに感情を書き出す作業をした、という訳。そうしたらちょっとは感情の起伏がマシになったかと思った。
一先ず落ち着いたから入浴に行った。でも入浴しても気持ちは静まらなかった。考えるのはその事ばかり。再び感情が溢れ出し、シャワーの音に掻き消されたけれども嗚咽が漏れた。それ程までに泣いた。一体、誰のために。それはまだ今の私には分からない。
気が狂いそうだった。あの瞬間、確実におかしくなった私の心。誰かと誰かが攻撃し合うのを傍観するために、私はSNSを始めたんじゃない。
違う。自分を表現したくて、始めたはず。なのにその媒体を介して自分が壊れて、どうするんだ。だから改めて思う、やっぱり私には、SNSやネットが向いていないんだなって。いっそのこと全部やめれば楽になれるのかなって。
だけど、それでも私はやめないし、何よりも私には、やめたくない、と強い意思がある。向いていないからやめるのは逃げると一緒。別に、ある物事から逃げることを否定するつもりはなくて、「私は」ネットやSNSから逃げたくないって話。
私には、noteをやっていたから繋がれた人、出会えた人がいる。これからも大事にしたいって思える人と出会えた以上、私はその人達とかかわりを持ち続けることに焦点を当てたい。力を注ぎたいんだ。
そんな、そこら辺に転がっているような、個人対個人の罵りあいには参加しないから。そんなものにいちいち反応しないから。まあ正確に言えば、「反応しない」ことを反応してるなって思う笑。それくらいは許してくれ。
また飲みたいなあ、タリーズのハニーミルクラテ。これ飲みながら書くと、執筆が捗るんです…!