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幼稚園来の友達と、会って語り合った

皆それぞれ、向いているベクトルが違うからさ。何をできるようになりたいとか、何を学びたいとか。

今日、幼稚園来の友達と、約1年ぶりに会った。互いに沢山のことを語り合った。無事に大学を卒業したと言うこともあってか、自然と、学生時代の話になって。「大学生ってさ、皆それぞれ、方向性に違いがあるよね」と言う冒頭の話を、その友達がしてくれた。

私はそれを聞いた時、いい意味で、天地がひっくり返るような衝撃を受けた。ああ、そっか…!と。

いや、考えてみればそれって恐らく、至極当然のことで。私が通っていた大学学科では、たまたま「同じような夢や志を持った人達が集まっていた」と言うだけで。だからと言ってそれを一般化するのは、違うんだよなあと。

「人の数だけ違うから、私の場合、それまでの競争意識も、いい意味でなくなったんじゃないかなあ」と友達は言ってくれて。

なんかその言葉に、私はとっても救われた。と同時に、(私は誰と何を比べて、何の為に4年間、こんなに闘争心を剝き出しにして、突っ走ってきたのだろうか)と思った。

でも当時の自分にとっての最善策は、紛れもなくそれだった。だからもう、後ろ振り向いて、無駄にごちゃごちゃするのはやめる。自分をこれ以上、不必要に苦しめないぞ。

何をどうやって頑張るか、どのくらい打ち込むのかは、人それぞれ。頑張れるって、基本的にはすごいこと。頑張り抜くことは、誰にでもできることじゃない。頑張るのはいいとは思うけれど、度が過ぎると、自分を追い込んで追い詰めてしまう。落ちるところまで落ちる。私の場合、精神を病む。

だから私はそこまで頑張る必要はないと、振り返った今思う。私は毎日を適度に、もっと適当に生きていい。

人間関係も、似たようなところがあるんだなあと。誰と居たいか、一人で居たいか。今もこれからも、私が居たい人は、私が決める。

最後に、高校生までの自分に言いたい。自分を偽ってまで苦しめてまで、無理にグループに所属する必要はないよ。もし、今いるところが合わなくても、それはたまたま合わなかっただけ。私は悪くない。

そして、幼稚園来の付き合いになる地元の友達とは、約19年間、関係性が続いている。今は年に一回の頻度で、会うか会わないかだけど、会えばそれまでの空白の時間は、すぐに埋まる。私達は互いに違いを認めて、互いを信じられていると。

改めてこの出逢いに感謝。読んでくださってありがとうございます。



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