友達がくれる、言葉の愛
綺麗ごと抜きにして、私は今、大学生として過ごしているこの四年間で、友達から溢れんばかりの愛を受けている。それは、言葉と言う名の愛だ。今、私の心は愛でいっぱい。満ち溢れたあたたかいものは、私がそれまでずっと被ってきた「完璧な私」と言う仮面を、そっと、取り外してくれたのだと思う。
初めて弱音を吐いて、苦しいことを苦しいって正直に言えたのは、大学の友達が最初だった。死にたいと言ったことも、一度や二度ではない。それでも、見放さないでいてくれた友達。いつもどんな時でも、ただただ、「そうなんだね」って受け止めてくれた。
でもそれだけではなくて、時には「美咲ちゃんにとっても、このままだと本当にちょっとしたことがきっかけで『死』と言う選択につながってしまうかもしれないと思う。それは危険だと私は感じているから、医師に相談してみたり、専門家に相談してみるのも方法のひとつだと思うよ」って、具体案を出してくれた。
友達からの、その言葉がきっかけで、私は医師に、それまで言えずにいた本音、つまりは「死にたい気持ち」を、正直に伝えることができた。
抑うつ状態が今より重くて、希死念慮が強かった当時も、ちょっとずつ元気になってきている昨年を含めた大学四年生の今でも。変わらない距離感で接してくれている友達には、本当に本当に感謝の気持ちでいっぱい。
3年生の時。強がって完璧を演じていた偽りの私も、弱さが表出した素の私も。当時友達は、そのどちらの私に対しても何も変わらず、本当に同様の態度で接してくれた。それはその友達だからこそできることなんだと私は思う。
そして、当時のその友達とのかかわりがあったことがきっかけで、私は他の友達にも、人は選ぶけれど、徐々に心を開けるようになった。信じられるようになった。本音を言えるようになった。それまでかかわってくれていた友達とも、大学生になってからの方が、より仲を深められているような気がする。
そうしたら色々な人が「話してくれてありがとうね。美咲がそんなに苦しんでいたことに、気付けなくてごめんね」って言葉をかけてくれた。それと「美咲は頑張り過ぎるくらいに、今まで頑張っていたと思うよ」と、何かのタイミングで、これまた複数人から言葉を掛けてもらった。
こんなに周りの人は自分のことを見てくれて、認めてくれていた。
その事実にとってもびっくりした。自分なんか、誰からも興味を持たれていないんだろうなって思い込んでいたから、本当に驚いた。他にも、美咲ちゃんは頑張り屋さんだよねとか、雲の上の存在だと思っていたよ、とか言われたときには、もう本当にたまげた笑
大学で出逢った友達を含め、周囲の友達には、最近ことあるごとに「○○のことが大好き!」と伝えるようにしている。会う機会が以前より格段に減ってしまったためか、文面でのやり取りが多いものの、正直な気持ちを伝えるようにしている。好きと言う気持ちは別に、隠す必要もないと私は思うし。
「好き」を好き、と表現することが怖くなくなったのも、大学で出逢った友達のおかげが大きいかも。他人の意見を極度に怖がっていた私だったけれど、今ではいい意味で「別に他人からどう思われもいいや」って思えるようになったし。
友達が贈ってくれる、たくさんの愛。今までそれを、両手いっぱに受け止めて、余すことのないようにしてきた。胸に刻んだ言葉もたくさんある。
卒業したら、きっと今みたく頻繁に連絡を取ることは、難しくなると思う。だからこそ、友達と過ごせる、今と言う時間を私は大切にするし、かかわってくれている人達には、感謝の気持ちを持ち続けられる人間で在りたい、と強く思う。今後は今以上に誠意を持って、接していくぞ。
読んでくださってありがとうございます。