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◇自己満足で行うことが、時には他人を喜ばせることも出来る。#193




先日の記事では〝自己満足〟についてを書いた。



私は最近「自己満足は悪。」と思っていたけど
それはただ自分の考えが偏り過ぎているだけであって


人生を楽しむためにも自分を喜ばせるためにも
自己満足はとても大切だということに気付いた。


そして、その自己満足は
時には誰かの役に立つこともあるのだ。



ドラマ「だから私はメイクする」のワンシーンで

美容部員の熊谷すみれが
見えないところまでいつも綺麗にしてくれていることに対して

近藤芽生に感謝を伝えると彼女は
「これは自己満足ですよ。自分がしたいからしているだけです。」
と返した。



そのワンシーンを見たとき
私はハッとした。


自己満足で行ったことは
誰かの役に立つことがあるんだ、と。



自己満足というのは自分が満足すること。

それで行動すると
相手のことを考えていないとか
相手を想っていないとか思われがちだけど

見方を変えると
「自分がやりたいからやっただけ。」
というのも立派な自己満足だ。



たとえば
仕事でファイルの片づけを頼まれた際に

みんなが見やすいから綺麗に並べるのも
整理整頓をして並べるのも

相手のためを想っている行為でもあり
自分がしたいからするという自己満足でもある。


ファイルを綺麗に並べて相手に喜んでもらい
賞賛を受けたいからと並べるのは

自己満足というよりも
自分の承認欲求を満たしたいという気持ちの表れだが


相手が喜んでもらえるように
自分がしたいから綺麗に並べたのであるなら
それは自己満足だ。


また、

相手に喜んでもらうために○○するは
見返りを求めている行為だが


相手が喜んでもらえたらいいなと
自分がしたいからするというのは
見返りを求めていない行為ともいえるだろう。


「自分がしたいからする。」という行いは

時には人の役に立つことがあるし
その気持ちで行ったことが
他人に喜ばれることだってある。


むしろ、見返りを求めていない行動だからこそ
エネルギー自体も軽いだろうし

相手から感謝されなくても
褒められなくても何とも思わないだろう。


だからこそ
頑なに「自己満足は悪!!」と思うのは
考えが偏りすぎていると私は学んだ。


相手のためを想うことも大事だから
すべて自己満足で行うと
生きづらくなることもあるだろう。

だからといって
自己満足で行うことは悪と決めてしまうのは

ちょっと考えが偏りすぎだ。


私はこの1日1Noteを完全なる自己満足で書いている。

だから賞賛されなくても
見られなくても別にいいと思っている。


だけど、その自己満足で書いた記事たちから
学びや気付きを得てくれたり
元気づけられたとか読んで気持ちが楽になったという報告を受けると
とても嬉しいし、書いててよかったと心から思える。


こんな風に自分の「自己満足」が
誰かのためになったり、役に立つこともある。


もしかしたら

相手のために思うのと
自己満足は紙一重なのかもしれない。


もっと自己満足を楽しんでいこう。


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