2024年の振り返りと今年の抱負
ようやくインフルエンザがよくなりました……!!
2024年はお世話になりました。2025年もよろしくお願いいたします。
2024年はかなり変化の年だったので、2025年の抱負を洗い出すためにもきちんと振り返っておこうと思います。
この1年で1番大きかったのは、転職を2回したこと。
そして重症筋無力症の治療法がある程度決まり、生活が安定したこと。
転職から幕を開けた2024年
2023年に入院してから、退院した途端「看護師をやめてほしい」「転職先を探してほしい」とクリニックから言われてきた私。
日に日に「まだ辞めないのかな」「病気で続けてるの迷惑だよね」と言われ、自分の居場所がなくなっていきました。
それでも心が折れなかったのは、2023年から副業を始めていたこと、それが実り始めていたし、ライコミュのCPもやってSHEに仲間がいたからだと思います。1月も色々ぶん投げていたのに付いてきてくれたサポ隊や支えてくれたCPズには感謝しかないです……!
主治医とも相談し、当時は重症筋無力症の症状と付き合いながら働くということが不安定だったため、リモートワークができる仕事へ変更。
そして、いつもお世話になっているいくみさんに相談に乗ってもらい、業務委託先で雇ってもらえることが決まりました。
「てんかん」についてフォーカスしており、私も認知を広げたかったため、3月末で看護師からアプリ開発会社の広報へと転職をします。
やりたいと言っていたことが叶い、とても嬉しかったのを覚えています。
初めての異業種転職で感じたことと失敗
そうして転職をした私ですが、入社したのはベンチャー企業。
マニュアルもないし、社内の広報分野に詳しい人もいない、私が書いたものはすべてOKが出される。さらに予算は少なく「0円広報」をひとりでやることに……。
でも誰ひとり、私のことを「病気があるから」という理由で偏見で見なかったし、できないときは人に頼る、弱音を吐いていい、ということを教えてくれました。だからこそ「苦手分野だけど頑張ろう!」と思えたし、やりがいもありました。
しかし想像以上にきつく、新たに上司を置いてくれましたが、表現の好みが合わない。
毎日「こっちの表現の方が好き」と真っ赤に修正が来て、結局今までと同じ戦略を使い伸び悩む現状に、イライラが募っていきました。
さらにデザイナー兼マーケーター、ディレクション業務も行って、できないと責任を問われるストレスも加わり、モヤモヤすることが増えました。
ベンチャー企業であることも理解していたし、色々なことをやることは理解していたものの、キャパオーバー気味でした。
業務委託であれば結果が出なければ担当の割合が減るだけですが、「正社員」は結果がすべて。結果が出なければひとり広報の私の責任です。
そんなときに上半期の合宿で経営不振を聞かされました。
そして「広報」というポジションを置かずに「今は営業に集中」という方針転換があり、私はこのままここにいていいのか考えた結果、2024年2度目の転職をすることに。
ベンチャー企業は全員の思いが1つの方向に向いて、アットホームな環境で仕事ができます。それでも自分の守備範囲がかなり多く、責任の範囲も広いです。
そのため、人間関係はよく、自分の適性や経験を生かして主体的に働けることが強みだと思います。
でも得意でないことや未経験でカバーするのは有識者がいない場所ではたかが知れています。なので、きちんと調べて知識をつけて転職するべきだったと思います。
自分ととことん向き合って挑んだ2度目の転職
半年を振り返り「異業種転職は結果を求められる」「理想とのミスマッチ」が失敗の原因だと思い、次は「人生で最後の転職にする」と決めました。
そして、いくみさんやMachiちゃんにキャリコンをしてもらったり業種を調べたり、自己分析したりとにかく自分の経験の棚卸しと長所・短所、スキルを上げて転職活動しました。
応募総数200社以上。
結局SPIで落ちたり(高校で数Aを取らなかったために全然わからず笑)運転で見送ったり「病気があるから」と断られたりして残ったのは3社。
その中から、これまでやってきたことが生きて副業もできる、リモートもあり同じ病気の人もいる、今の会社に決めました。
Machiちゃんやいくみさんには朝早くから相談に乗ってもらったり、履歴書見てもらったりたくさん面倒見てもらい、入社できました。
本当にありがとうございました。
30代の異業種転職の難しさと納得できる転職のコツ
今回転職を見て、やっぱり巷で言われているように30代の異業種転職は難しいと思いました。
それはミスマッチが起きる可能性も高い(前職と比較してしまうから)、経験の中で結果を出せるかが見られる(経験年数〇年以上、○○についての問題点は何か指摘してみてくださいなどの条件や面接がある)という部分が大きいと思います。
でも面接の中で準備は必要だけど飾る必要はなくて、素直にマッチングだと思ってお互いの認識をすり合わせるっていう作業が大事だと思いました。
特に譲れない部分、できないところ、逆に役に立てる部分、気になっているところをすり合わせて、違和感はつぶしておくことが転職成功の近道かと。
私も仕事が楽しいと思えているので、今後も会社の役に立てるよう、3月までに成長したいと思います。
次は「退職」なんてワードを出させないように。
重症筋無力症とてんかんのコントロールできた1年
重症筋無力症と診断され、年明け以降はステロイドを減らすべく試行錯誤してきた私。
でも限度は6mgで、ウィフガードは3週間に1回やらないと普通の人と同じ生活が送れないことがわかった1年でした。
ステロイド5mgまで行きたかったけど、夢のまた夢。
とりあえず現状維持で仕事も支障なくできているので、それで満足です。やっぱり感染しやすいので、夏は胃腸炎、冬はインフルエンザと色々もらいますが、そのときにもかかりつけの大学病院で見てくれるし、早めにベッドも確保してくれて安心しています。
そして2024年は今まで「特発性てんかん」だといわれていた私が「ミオクロニーてんかん」と診断がつき、治療が変わりました!
まさか20年目にして診断がつくなんて……!びっくりです。
治療の変更に伴って1回大きな発作が起きたり前兆が多くあったりしたけど、ようやく落ち着きました。
新たな病気の可能性と今後の付き合い方
また子宮頸がんも引っかかり生検をしました。こちらは異形成で経過観察。
ステロイドで癌になりやすいうえに、切除は早い方が重症筋無力症の悪化を防げるとのことで、今後はヒトパピローマウイルスを調べて癌化しやすいタイプなら切除、そうでないならそのままになりそうです。
元々の重症筋無力症とてんかんに加え、また経過観察が増えましたが、結局なるようにしかならないので、様子を見ながら付き合っていきます。
SHEの仲間とたくさんの交流や話ができた1年
重症筋無力症と診断されてからコミュニティを作りたいとSHEに入会して、副業ができるようになり異業種転職も出来た私。
本当に頑張ったと思う。
そして10期のライコミュのCPになって、とてもしごできなサポ隊に囲まれて「人を素直に頼る」ということができるようになった。
それにみんながたくさんサポートしてくれて、マネジメントとかみんなと何かを作る経験ができて本当に嬉しかったな~。
10期のCPズでSHEAWARDSのお手伝いしたことも思い出。
とっても楽しかったし、みんながいたからこの激動の1年を乗り越えられたし、1人じゃないって思えた。ありがとう。
SHEAWARDSのノミネート者になったのも、これまで関わってくれたシーメイトのおかげです。感謝しかないです。
今後もみなさん、よろしくお願いいたします。
2025年の抱負となりたい姿
色々な人に支えられて、転職2回に新しい病気が見つかり、持病のコントロールができるようになって、2024年も慌ただしくて本厄って感じの年でした。でも2023年に蒔いた種が着実に実を結んだ年になったと思います。
2025年は後厄ですが、2024年に決まった本業でマネージャーに正式になること、看護師さんの働き方を増やすこと、副業のディレクション業務をやって連載に関わること、病気のコントロールをすること、パートナーシップを築くことをしていきたいと思っています。
特に本業では重症筋無力症の患者さん向けのパンフレット改訂や患者さんのために色々と動いていて、携われているのでとても楽しみですし、啓発も頑張りたいです!
今はありがたいことにライターでも副収入として5万円ほどいただけているので、それを資金に海外旅行や国内旅行をしていきたいです。
そしてプライベートも仕事も充実し、健康な私でいます!
1つ1つに感謝をしながら1日を大切に今年も生きて行きたいと思うので、今後ともよろしくお願いいたします。