【恨み】
最近「恨み」という感情について考えている。
というのも、わたし自身、あまりこの感情に縁がなく50年近く生きてきたのだけれど、50を過ぎてから急にこの感情と向き合わなければならなくなってしまったからだ。
☆
わたしにはもうすぐ付き合って7年になる彼がいる。
籍は入れていないし、一緒に住んでもいないけれど、最寄駅は同じ場所に住んでいるので、スープが冷めないとまでは言わずとも、まぁ散歩がてら行こうと思えば行ける距離である。
まぁ見る人から見れば、理想的な状態なのかもしれない。
けれど、この状態になるまでの間には本当にいろいろなことがあり、とても一言では語り尽くせず、それは文字通り山あり谷ありで、衝突したことも一度や二度ではない。
それはお互いの育った環境の違いからくる要素も大きいのだけれど、とにかく話が噛み合わずに、互いを傷つけ合うことも数えきれない7年であった。
☆
正直、わたしと彼は根本的には合わないと思っているし、彼と一緒にいる未来に自分のしあわせな姿はあまり見えてこない。
もっといえば、なにかしら我慢や不満を抱え、苛立ちやストレスを抱えた姿しか見えてこない。
それでもなぜ彼の傍にいるのかといったら、なんだかんだ言ってもわたしには彼が必要であり、また彼にとってもそうだから、現状があるのだろうと思っている。
まぁ男女の仲は理屈ではない、というやつだ。
☆
けれども困ったことに、わたしの中には過去に彼から言われた言葉や、されたことへの恨みが蓄積しているのである。
もちろん、わたしの側にもいっさい非がないわけではないけれども、それでもやはりあのときのあの言動はどうなんだろう、あれはやっぱりふつうに考えたらいくらなんでもひどいのではないか、と思うことも山のようにあるのである。
もちろん彼も、そうしたわたしの言い分に理解を示すこともあるのだけれど、それでもやっぱり過去に言われた言葉、とられた行動というのは、どうにも忘れられず、それらは心の中に蓄積していくのだ。
☆
そもそも傷ついたということは、わたしがそれだけ彼に対して心を開いていたからだともいえる。
そうしたやわらかい心をさんざん傷つけられたから、彼に対して心を閉ざすようになったのも当然の話だ。
もちろん、わたしも彼に対して同じようなことをしているのかもしれないけれど、そういう理屈を通り越して、わたしの中には彼に言われたこと、されたことへの恨みが、時折ぶわっと湧いてくるのである。
☆
愛情の反対は無関心というくらいなので、恨みがあることじたい、それはわたしのなかに彼への想いがあるのと同じことだ。
どうでもいい相手に恨みなど持つことはない。
一時的に傷つけられることがあったとしても、縁を切ってしまえば済む話だ。
彼との関係だって、切ろうと思えば切ればいいだけの話だ。
でもそれをしたらわたし自身のメンタルの主柱はなくなり、おそらく崩壊するであろうことがわかっているから、現状があるのだ。
☆
そう考えると「恨み」という感情は、なんて厄介なものなんだろうと思う。
相手への想いが強いゆえに、過去にされたことが忘れられない。
こんな厄介なことがあるだろうか。
おそらくわたしは彼が生きているかぎり、彼の傍にいるだろうけど、きっとこの感情はどちらかが死ぬまでなくならないのだろうと思う。
☆
と、ここまで書いていて、ふと気づく。
わたしは自分のために彼の傍にいるけど、おそらく彼は、わたしのためにわたしの傍にいてくれているはずだ。
それはわたしが彼から愛されている、なによりの証だ。
この事実が、わたしの中に蓄積している恨みの感情を少しずつでも緩和させ、いつしか溶かしてくれる日を待てば、どちらかが死ぬ日を待たずに恨みが消える日が来るのだろうか。
それこそ源氏物語の六条御息所のような、怨念を持たずに済む日が来るのだろうか。
その答えが見えてくるまで、残念ながらもう少し時間がかかりそうだ。
※今は蟹座に滞在する火星パワーが、わたしにとっては対人関係(とくにパートナー)との闘いの時間帯でもあるので(そして揉めに揉めたあと、最終的には落ちつくべきところに落ちつくこともわかっているので)こうした感情と向きあうことも、今のわたしにとっては大切なのである。
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