【ときどき思い出す高3の時の日本史教師の話】
彼は新卒まもない20代の若手教師で、わたしたちが高3の時に初めて1年生の担任を持った、そんな立ち位置だった。
見た目は色白メガネ&まっすぐサラサラな黒髪と(おそらくオデコが広くなり始めているのを、前髪を長く伸ばして隠してた)、色白ツヤツヤツルツルたまご肌のとっちゃん坊や&低身長&ダサい背広姿がデフォの悪目立ちをしており、以前から存在は認識していた。
そんないかにも歴史キモオタみたいな風貌の彼が、わたしたちのクラスの日本史を担当するとわかったとき、クラス全員がものすごく嫌がった。
つまり接点はなくとも、そのくらい悪目立ちする外見だったのだ。
彼本人も学生時代から、そうした周囲の視線には慣れていたのだろう。
彼は一定の壁を周囲に対して、つくっていた。
だからわたしたちのクラスで日本史の授業をするときも、最初から笑顔を見せることもなく、ただ淡々と自分のやるべきことをやっている。
そんな教師だった。
☆
そんなある日、彼に対してクラスの男子が浩宮とあだ名をつけた。
昭和天皇が崩御して3ヶ月ほど経ち、皇太子になりたての今上陛下は、まだ宮さまの呼び名の方がしっくりくる時期で、実際、雰囲気含めてたしかに似ていたのだ。
もちろん陰でそう呼んでいただけなので、おそらく本人はそんなあだ名を生徒たちにつけられてるとは思いもしなかっただろう。
しかしこの教師、授業の内容がとてもおもしろかったのだ。
☆
おもしろいと言っても、とくに冗談を言うわけではなく、淡々と歴史について語っていくのであるが、板書の内容を事前にノートにまとめてきているらしく、とにかくこちらもノートをとっていて、とても見やすいのである。
そして史実の中に、いろんなエピソードを交えながら話すので、ふつうにおもしろいのである。
日本史があまり好きではなかった当時の友人も「浩ぴーの授業だったら、日本史もおもしろい!」と言ったくらい、とにかく授業がわかりやすくておもしろかったのだ。
生徒というのは、とにかくいろんな教師の授業を受けている。
高3ともなれば、ある意味その集大成だ。
その中で彼は生徒たちから認められたのだ。
☆
おそらく夏休み前には誰もが彼のことを認めていて、そして誰もが日本史の授業を楽しみにするようになっていた。
そうなれば教室内の空気も当然変わり、その日本史教師も少しずつ心の扉が開き、時折、生徒たちからのツッコミに顔を真っ赤にして笑ったりするようにもなった。
もともと浩宮なんてあだ名がつくくらいなので、彼の顔にはあどけさなさが残っていた。(要は社会に揉まれた顔をしていない)
そんな色白ツヤツヤツルツルたまご肌の彼が、顔を真っ赤にして笑う姿は、シンプルに子どもみたいでかわいかった。
実際、女子生徒たちの間では「浩ぴーかわいい🩷」という声も上がるようになってきたくらいだ。
最終的に卒業するころには、男女問わず、多くの生徒たちから別れを惜しまれる存在になっていた。
つまり生徒たちから愛される教師になっていたのだ。
☆
日本史のみ、わたしたちの学年では2クラスしか担当していなかったから、彼の授業を受けたことのない生徒たちの方が多かったけれど、彼の好評は他のクラスの生徒たちでも耳にすることがあるほどになっていた。
50年余り生きてきた中で、彼ほど本人を知る前と知った後で評価が逆転した人をわたしは知らない。
もしかしたら彼自身も、あそこまで周囲の空気が変わったのは、生まれて初めての経験だったかもしれない。
そしてその評価が180度変わったのは、なにより彼自身の本分の結果だ。
生徒に媚びることなく、けれどもやるべきことはキチンとやる。
事前に板書する内容をノートにまとめ、それを几帳面な字でキッチリ黒板に書いていく。
ただ詰め込むだけの授業ではなく、歴史にまつわるエピソードも交えつつ説明する。
それはおそらく彼にとっては、自分の仕事だからやっていただけなのかもしれない。
生徒に歴史に興味を持ってもらおうとか、そんなことは考えていなかったかもしれない。
ただ単に自分が歴史を好きなことと併せて、仕事としてキッチリ授業をすることに徹していただけなのかもしれない。
でも結果として彼は誰よりも生徒たちから愛され、そして信頼された。
☆
この話にとくにオチはない。
ただそうした事実があった、というだけの話だ。
それでもわたしは時折、この日本史教師のことを思い出す。
そして彼が担任を受け持っていたクラス(1年生)の生徒たちがうらやましかったことも、ふと思い出す。
そのくらいわたしもまた、彼に魅了された生徒の一人だった。(終わり)
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