ストレスと反比例したもの
今月、大学2年の前期で退学した息子が、
卸会社でアルバイトを始めました。
「他の人に電話を代わるとき、
スマホなら消音ボタンがあるけど、
普通の電話はなくて、不便」と気がついたらしい。
息子よ、
「保留」と言うボタンは目に入らぬか?
なんとも20歳まで「保留」を知らずに
生きてきたようなのですが、
そういえば、彼に電話がかかるのはスマホ。
家の電話は、誰かがいれば知らんぷりだし、使う機会がなかったんですよね(笑)
好きな人の家に電話をかけて、
保留音を聴きながら彼が出たら何から話そうとドキドキしたのも、大昔のできごとなのです。
固定電話の形骸化
電話もそんな存在だったのに、今は1人一台。
そんなふうにいつの間にか、すっかりIT社会となった「今」。
人との接触がなくなった分、すごく便利になりました。
少子高齢化によると労働力低下と
利便性UPのための超情報化社会への変革は、
「産業革命並み」とも言われています。
その情報化社会が、人と人の間に距離を置くようにさせました。
人々の距離感
そして人間関係が、家族でさえ希薄になり始め、コミニュケーションという言葉とその重要性が認知されて30年くらいになるかとおもわれます。
つまり、約30年前から人々の繋がりは脆くなっていたのです。
人との接触が減った分、多くの人が、
人と交わることに不慣れになり、
個性の時代と謳われて、実のところ、
個性を見つけるためにもがく羽目になり、
「どう見られるか?」といった、
人目に敏感になったのではないでしょうか?
今ドキの小学生は、文字を書いたりすることには抵抗がないけれども、人と話すことに緊張を伴うことが多いそうです。
どう見られるか、失敗しないかということを
とても脅威に感じるらしいです。
ICTと未来
政府のギガスクール構想は、
昨年の特別な時世で定着しましたが、
お隣韓国ではタブレット端末による教育態勢は、10年前にすでに出来上がっていたそうです。
島国・日本では、困ったことは家の中で始末するといった風潮があるものの、家庭そのものが機能していなければ、自殺は加速します。
韓国には、そういった風潮はないものの、世界における自殺率は日本の次に位置していることを考えると、教育現場における変化が悪い方向で作用しないことを祈るばかりです。
そして、ストレスの物差しが自殺率であり続ける現実に目を覆いたくなります。
代償
変化はいつも、代償を要求します。
産業革命がのちにもたらしたものは、地球温暖化でした。
この超情報化社会が何を要求してくるのか。
すでにストレスを引っさげてやってきました
。
今年2月には「孤独・孤立対策担当大臣」も世界で2番目に任命されたのを始め、さまざまなカタチでストレスが認知され、対応が始まってます。
情報に流されて、押し潰されるか、
情報をチョイスして、自分を守るか
それぞれに委ねられるものは大きいです。
一部の便利と引き換えに、
ほんとうは生きづらい世界になっているかもしれないと思うのは私だけでしょうか。