湯浅譲二 作曲家のポートレート-アンテグラルから軌跡へ-
【出演】
指揮:杉山洋一 東京都交響楽団
【曲目】
・エドガー・ヴァレーズ:『アンテグラル(積分)』小オーケストラと打楽器のための(1925年初演)
・ヤニス・クセナキス:『ジョンシェ(藺草(いぐさ)が茂る土地)』大オーケストラのための(1977年初演)
・湯浅譲二:『哀歌(エレジイ)』オーケストラのための[編曲世界初演]
・湯浅譲二:『オーケストラの時の時』オーケストラのための(1977年初演)
・湯浅譲二:『オーケストラの軌跡』[全曲世界初演 サントリー芸術財団委嘱作品]
湯浅譲二氏は今年94歳、なお創作への意欲は旺盛である。
ヴァレーズ作品…管楽器・打楽器セクションによる好演。程よく乾いた、しかもどこか洒脱な響きをよくあらわしていた。
クセナキス作品…全体に弦楽器群が弱い。音量よりも勢いの問題か。もしかしたら弓の速度といった技術的問題かもしれない。音自体の響きがどうにも優し過ぎた。そのため、冒頭のガムラン音階風のパッセージがうまく浮き上がってこない。そのあとの、強烈なユニゾンによる刺さるようなパッセージも、明らかに迫力不足。しかも管楽器が入ってくると、ほぼ掻き消されてしまう。トゥッティの強奏のさなかにも弦楽器は絶えず展開しているのに、動きが聴こえてこないのが残念。管楽器、特に金管楽器群が力演。
哀歌…「2008年、玲子夫人が亡くなり、湯浅は作曲できない日々が続く。この気持ちに区切りをつけようと、メトロポリタン・マンドリン・オーケストラからの委嘱を受けて、この曲に取り組んだ」(白石美雪氏によるプログラム・ノートより)との由。マンドリン・オーケストラの部分を弦楽合奏に置き換え、原曲と同じく打楽器・ピアノ・ハープを加えた編曲版での演奏である。驚くほど息の長いふしが静かに奏されていく。激することなく、作家の心境を丁寧に綴る。
時の時…初演は1977年、もはや古典なのだけれど、脂ののりきった時期(作曲者47歳)の作品で、今回最も聴き応えがあった。まず、オーケストラがこの作家の書法を完全にレパートリーに収めていると感じられ、落ち着いて聴くことができた(引き比べて、クセナキスはまだまだその域に遠い)。オーケストラのさまざまなセクションに音の塊が現出するさまは、クセナキスと通ずるものも感じる。が、クセナキスは音が持つ初源的エネルギーを抉り出すような姿勢であるのに対し、この作家はあくまで冷静にオーケストラから丁寧にさまざまの音色を取り出していく。両者の間に優劣があるのではなく、志向の差である。中ほどで、音像がオーケストラの中をゆっくりと移動していくシークエンスが、実に魅力的だった。
プログラム冊子に寄せられた長木誠司氏のエッセイは、湯浅作品の「音響エネルギー」を中心に論じている。湯浅氏は確かに音の有するエネルギーの在り方に強い関心を抱いているとみられる。しかしながら、音響エネルギーそのものを(非)楽音によって表現するというより、エネルギーが発生し遷移していくさまをいわば象徴的・模式的に表現しようとしているのではないかと思われる。グラフ表示を介して五線紙上にリアライズするのが湯浅氏の流儀であり、音の蔵するエネルギーに対しては客観的な姿勢が一貫する。他方、構想した音響エネルギーを直接に(非)楽音に翻訳し、爆発的な音空間を形成するのがクセナキスであろう。
軌跡…病を経て、6年越しで完成させた作品。流石に「時の時」のような勢いはなく、あっけなく終わってしまう。だが、短いながら作家のカラーをきちんとあらわす佳品であった。(2023年8月25日 サントリーホール 大ホール)
【追記】大ホール公演の前に、サマーフェスティバルの「ザ・プロデューサー・シリーズ (三輪眞弘氏による)」プロジェクト型コンサート En-gawaを覗いた。
いつもとは全く異なる設えのブルーローズだが、みんな思い思いの場所で演奏に耳を傾けたり、屋台を冷やかしたりしており、程よく力の抜けた雰囲気が心地よい。
だじゃれ音楽研究会「ありえないかもしれないガムラン・コンサート」…野村誠氏を中心とするグループによるステージ。野村氏と佐久間新氏の舞踊とのコラボもあり、即興演奏のおもしろさを味わわせてくれた。同時にガムランの、あらゆる音楽を取り込んでいく懐の深さを感じる。