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巡礼の果てに見えてくる、人間と動物の関係性。/『動物園巡礼』木下直之

ジャケット買いならぬ、帯買い。

「オオアリクイの前に集合せよ」。帯に書かれたこの1文にやられてしまい、気づくとハードカバーを持ってレジに並んでいた。恐らくこれがライオンとか、パンダのようなメジャーな動物だったらスルーしていただろう。ここでオオアリクイを選んだところが絶妙なのだ。この帯を作ったであろう東京大学出版会の担当者さんに拍手!

巡礼を通して見えてくる、動物園と人の関係性の歴史。

『動物園巡礼』は江戸時代~現代の動物園で、人間がいかに動物を扱ってきたかを、紀行文のような形式で書いた1冊。著者の木下直之さんは東京大学大学院人文社会系研究科の教授も務めていて、時折読者に語りかけてきたり、脱線したり、おやじギャグをこぼしたりと、大学の授業を受けているような気分に。

この木下さんが動物園側ではない立場から語っていくという点がミソ。客寄せのために動物に芸を仕込んだり、人間と同じ服装をさせたり、電車の運転をさせたり、見世物として日本各地を巡回させたりといった、恐らく動物園内の解説ボードには書いていないであろう、つまり動物園が積極的には触れないであろうエピソードの数々が紹介される。

特に印象的だったのが、動物を「人間らしく」扱ってきたという視点。大阪天王寺動物園の章では、チンパンジー「夫婦」の「妻」リタの「葬式」で、「夫」のロイドが焼香をする写真が。死まで人間の真似をさせていたのかと思うとゾッとする。

じゃあこの本がアンチ動物園の本かというとそういうわけでもない。わりと冒頭で木下さんは動物園の動物をかわいそう、と捉える「ゆるやかな反動物園論」に対し、「拘束された自分の姿をそこに投影することから生じる」と指摘。つまり、動物園が動物に人間らしい行動を求めるにせよ、そんな動物園を批判するにせよ、(そんなことはできようはずがないのに)人間が動物の立場になった「つもり」になってしまうことこそが、危ないのだということに気づかされる。

とはいえ、幼い頃から水族館のイルカショーで心を躍らせていた者として、途中かなり居心地悪く感じた。それでも展示やショーのオリジンがどうだったのかわかったことにより、そうしたショーをただエンタメとして楽しむことを考え直すきっかけになったのは良かったと思う。

旧えのすい(江の島水族館)が懐かしい!

そうしたシリアスな問題提起に考えさせられることもありつつ、昭和以前の動物園事情は日頃接する機会が無いのでかなり興味がそそられる。谷津バラ園だったり、金沢ヘルスセンターのお座敷動物園だったり、オイオイそんなところで動物飼育していたのかよ!とビックリ。リニューアル前の江の島水族館についてもまるまる1章割かれていて、マリンランドや海獣公園など昔の記憶が思い出されてとても懐かしい。

「前置きが長い、引用が長すぎる、いつになったら動物園に入るんだ、という読者の声は承知」と自ら書くぐらい、天王寺動物園周辺の露天商のおっちゃんや、ピンクな街並みについての紹介など、動物園と関係の無いエピソードもたびたび挟まれる。しかし、思い出してほしい。学校の授業で記憶に残るのは、授業の内容ではなく、脱線の末の四方山話ではなかったか。どうやら取材にあたり木下先生は、札幌から旭山動物園ま自転車で移動したらしい⁉しかし本書ではその道中について詳しく語られない。イヤイヤ、そこが知りたいんですよ!


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