
12回目:「拳論」を一旦忘れて
ここまでの回で、「太極拳」の形成、伝承、応用、および「推手」という特別な演習法について、理系人としての見解と推理を紹介した。特に楊式ベースの「推手」というのは、優雅で風流な「囲碁の武術版」である結論まで結びつけた。もちろん、この結論に異議がある方もたくさんいらっしゃると思うが、少なくとも、理系人の私は、誰かの言い伝えや、噂ベースの文書より、自分の現実ベースでの推理を信じている。
この結論をサポートできる根拠は、これからの回で一つ一つ説明するつもりだが、その前に、まず「太極拳」を習う人なら誰でも口にする「太極拳論」を理系人として解析する必要があると思う。なぜかというと、「太極拳論」自体は文系人に「汚染」されたマニュアルであるかもしれない。
今まで現代人を理系人と文系人の2つのカテゴリに分けたが、古代中国人なら、「武系人」と「文系人」というふうに分類できる。(残念ながら「理系人」は技術官僚として、存在していたが、極少数で、数的にはすごくマイナーであった。だから科学技術が停滞していた。例えば、火薬は発明されたが、大砲や拳銃まで発展されなかった。)
古代中国では、官僚制度では、文系の「臣」と武系の「将」があった。しかし、儒教ベースの統治制度は、文系人である「孔子」を拝めていたから、文系の「臣」はどうしても武系の「将」より格上であった。その影響が朝廷に留まらず、民間でも文系人は武系人より尊重される風習がある。そのため、武系人である民間武装の長は、文系の言葉で自分の「武術」を飾る傾向が避けられない。成金が芸術品を買って家に飾ることを想像すれば、その気持がわかる。
ということで、武装集団で伝承された高級武術は書面の「拳譜」と口述の「秘訣」の組み合わせで暗号化されることだけでなく、その「拳譜」自体がある程度、文系人への憧れの影響で、不必要な飾り言葉が入ってしまう。その「集大成」としては、王宗岳氏の「太極拳論」である。
王宗岳氏の「太極拳論」は武術の参考書以外に、文学的にも優れるように書かれている(実際優れているかはわからない、優れている用に見える努力はされていると思う)。古代漢文の中でも、一番華麗なる「駢文」に彷彿させる構造で、とても読みやすい流れである。「駢文」の特徴は、たくさんの「対偶」である。「対偶」というのは文学の修辞法で、例えば「上」を言った後、必ず「下」を言う。「左」を言った後、必ず「右」を言う。一番有名な「駢文」は唐代の王勃の「滕王閣序」で、華麗すぎてたまらない。「太極拳論」もその真似をして、「左重則左虚、右重則右杳。仰之則彌高、俯之則彌深。進之則愈長、退之則愈促。」これは実は修辞法のための文で、武術のマニュアルとしては、もっと簡単に記述できる。「相手の動きの左右、俯仰、進退に合わせ」と一言で十分である。
ということで、「太極拳論」は参考書としての価値があるが、一字一句にこだわる必要がまったくないと考える。特に現代人にとっては、特に漢文もわからない日本人の現代人にとっては。
さらに、王宗岳氏は太極拳の名付けの親としても有名である。しかし、実際この「太極拳論」を眺めてみると、「太極拳論」の本文で、一回も「太極拳」という三文字が出たことがない。さらにさらに、「太極拳」を名付けたのは、王宗岳氏であれば、彼の師匠、そして祖である張三豊氏は、「太極拳」という名前の拳法をやっている事自体、知らなかったはずです。だって自分が死んだあとの人が命名したから。であれば、無理やり「易書」の太極や陰陽理論で太極拳を探求すること自体が、本末転倒ではないかと思ったりもする。やれやれ、ここを疑い始めると、きりがない。そもそも「太極拳」をやっている人から見ると、こういう疑いは、キリスト教徒が、イエスがほんとに神の子供なのを疑うような異端になって、万死に値する。笑。
お許しください。理系の世界では、疑いがないと、何も始まらないから。