理系人の太極拳

理系の観点から、伝統太極拳をいろいろ憶測してみたり突っ込んだりするブログです。 本業はただのプログラマーで、武術や武道で飯食っているわけでもないので、大きい目でご一読いただければ幸いです。

理系人の太極拳

理系の観点から、伝統太極拳をいろいろ憶測してみたり突っ込んだりするブログです。 本業はただのプログラマーで、武術や武道で飯食っているわけでもないので、大きい目でご一読いただければ幸いです。

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  • 理系人の太極拳

    プログラマーが暇つぶしで太極拳について理系人なりに探求してみました。 本業は武道家でもなんでもないので、武術で飯を食っているわけでもないから、笑いながらご一読いただければ幸いです。

  • 隣の太極拳 Taichi on Youtube

    ハリーポッターでは魔法使いにしか見えない街がある。それと似たような感じで、現実世界にも「興味ある人」にしか見えないワールドがある。たとえば、タピオカミルクティー。興味ない人には、それはカフェラテ、抹茶のような、ただ一種類の飲み物だと思われがちだが、「興味のある人」には、何百ものタピオカミルクティーの種類がある。太極拳も同じ。興味ない人には、それはヨガや、柔術や、空手のような、ただ一種類の武術だと思われがちだが、「興味のある人」には、それは武当山、陳、楊、呉、孫、武、趙堡などの伝統流派や、さらにいろんな現代に渡って派生した流派を加えて、何百の種類がある。こんだけあるのなら、タピオカミルクティのように飲み比べたくない?Youtubeを使って、ただで太極拳を「飲み比べ」ましょう。

最近の記事

15回目:「気」を一旦忘れて

「気」よりもっと都合のいい言葉は、恐らくない。日本人も漢字の文化圏なので、多少この「気」の曖昧さがわかるだろう。呼吸するのは、「気」管。心理作用は「気分」。内蔵の感覚も「吐き気」。さらに「文系人」の漫画家は手のひらからビームを出すカメハメハまで「気」と呼んでいる。中国でも、古来から「気功」と呼ばれる超自然なものが信じられている。これらの存在は、すべて太極拳の「気」への理解の邪魔になっているのは、間違いない。 太極拳の古代の論述には、よく「行気」という言葉を使う。つまり「気」

    • 14 回目:「八卦」を一旦忘れて

      「五行」よりは「八卦」のほうが、実はもっと格が上の仮説である。なぜかというと、「四書五経」と言われる「儒家」のバイブルの一つである「易経」に記載された説だ。これは、歴史を考えると、老子の「道徳経」より遥か前の時代にすでに信仰された仮説で、世界を解釈し、さらに予測しようとする。現代人がわかりやすい言葉に訳すと、「占い」。 人間は知らないものから、不安を感じる。現代人のように、科学技術が発達しているから、なんでも世界を改造できる傲慢ぶりは悪いことかもしれないが、古代人の科学技術

      • 13回目:「五行」を一旦忘れて

        理系人の最終形態というと、「科学者」である。文系人の最終形態というと、おそらく「哲学者」だろう。両者には、意外に共通点がある。それはこの世界を解釈することだ。しかし、その違いも明らかだ。「科学者」は「創造」に拘る。自分の解釈を証明し、さらにその証明した解釈ベースで新しいものを作ることを目指す。それと対照的に、「哲学者」は「想像」にとどまり、証明しようがない。 二千年前の中国では、たくさんの「哲学者」と「科学者」が誕生された時期があった。所謂「春秋時代」の「百家争鳴」だ。孔子

        • 12回目:「拳論」を一旦忘れて

          ここまでの回で、「太極拳」の形成、伝承、応用、および「推手」という特別な演習法について、理系人としての見解と推理を紹介した。特に楊式ベースの「推手」というのは、優雅で風流な「囲碁の武術版」である結論まで結びつけた。もちろん、この結論に異議がある方もたくさんいらっしゃると思うが、少なくとも、理系人の私は、誰かの言い伝えや、噂ベースの文書より、自分の現実ベースでの推理を信じている。 この結論をサポートできる根拠は、これからの回で一つ一つ説明するつもりだが、その前に、まず「太極拳

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        記事

          11回目:「政権」を忘れないで

          優雅で囲碁のような余裕のある「楊露禅系」「太極拳推手」、これはこの理系人が研究したい課題である。これ以外の「推手」や「太極拳」は議論や探求の範疇ではない。つまり、「論外」だ。ここはやはり、理系の論文っぽく、はっきりさせなければいけない。だって、理論が適用する範囲を明確にするのが、理系人の考え方である。自分の理論が、なんでも、万物万人にも適用できるという考えは、まあ、悪質な商法や、新興宗教のやり方で、理系人のやり方ではない。 私が言っているほかの「太極拳」や「推手」というと、

          11回目:「政権」を忘れないで

          10回目:「相手を傷つけること」を一旦忘れて

          戦場から帰ってきた人間は、心に傷が残る者がいる。これはPTSDという心的外傷後ストレス障害である。特に人を殺めたことや、殺戮の現場を見たことなど、ストレスの原因になる。だから、米兵が帰国後、ベトナム戦争症候群や湾岸戦争症候群などがある。 平和な現代社会に暮らしている人間は、そう簡単には人を傷つけることができない。それは法律、道徳、教育などなど自制心、すなわち理性による制御があるから。だから刑事の専門家によると、大半の傷害事件はとっさのことで暴れて理性を失った結果で、計画性の

          10回目:「相手を傷つけること」を一旦忘れて

          9回目:「戦える?」を一旦忘れて

          現代人はよく「太極拳って実戦に使えるの?」と聞く。しかし、理系人としては、まず「実戦って何?」と聞き返したい。なぜかというと、前述のように、サバイバルのための「死活問題」の実戦もあるし、内部の切磋琢磨のための「勝負」の実戦もある。さらに、巷の「ストリートファイト」もある。いったい現代人は、どこまでの実戦を意識してこの質問をしているのか、まずそれを確かめたい。 次にそもそも「〇〇拳って実戦に使える?」という質問自体がおかしい。実戦なら、特に命に関わる戦いなら、とっさの瞬間で勝

          9回目:「戦える?」を一旦忘れて

          8回目:「神技」を一旦忘れて

          3回目でも触れてみたが、古代の民間の武装集団は、武器の改良にはあまり資金面や政治面の投資ができないから、逆に良い武器に頼らない技を磨くしかいないのではないかと推測してみた。その技の磨きには、伝承の手段(拳譜、秘伝)と絶えない実践(山賊などからの自衛)以外、もう一つ不可欠なのは、優秀な選抜制度だと思う。 「科挙」という文化人の制度があるこそ、中国は二千年あまりの皇帝制度を維持できた。それは、皇帝本人はどんなに優秀であっても、一人だけでは、こんな広大な国を治めることができない。

          8回目:「神技」を一旦忘れて

          隣の太極拳2:Ian Sinclairさん(2)

          前回からだいぶ時間が経ったんで、念の為復習してみましょう。 私はいろんな太極拳のYoutubeを見たが、一番紹介したいのは、やはりこの「Ian Sinclair」さんのチャンネルである。世の中で、「麻婆豆腐」の数ほど、太極拳の数がある。そして「麻婆豆腐」の数ほど、太極拳に対する「理解」や「信念」や「説明」がある。しかし、これほど自分の習ったところの太極拳への理解に通じ合うものは、あまり見たことがない。遠い国のどこかで太極拳を教えているこのIanというおじさんとまったく面識が

          隣の太極拳2:Ian Sinclairさん(2)

          7回目:本場を一旦忘れて

          緊急事態宣言がやっと終わって、次いつ来るか誰も分からない。幸いに理系人は元気で、無事2回ワクチンも受けた。ワクチンを信用するかどうか、人それぞれの観点があるが、理系人としては、メリットがデメリットよりずっと大きく、接種するのが今のところ一番合理的な判断だと思う。まあ、その話はさておいて、過去の一年半の間、外食はだいぶ減った。「理系人の太極拳」の次を書く前に、ちょっと外食の話をする。 日本の中華料理店の麻婆豆腐、おそらく誰も一度は食べたことある。「とりあえずビール」みたいな感

          7回目:本場を一旦忘れて

          6回目:拳譜をやはり忘れて

          前回「拳譜を忘れて」の理由を説明した。それは、そもそも古代人が書いた専門分野の文書は、現代人にとって解読が難しいから。それでも、たまたま現代でも古文や古代のあらゆることが詳しい人がいるかもしれない。だったら、その人は、拳譜を入手したら、すぐ解読できて、優れた武術を習得できるのではないか。 ちょっと待って!それでも「拳譜」だけでは、習得できないよ。なぜかというと、「拳譜」はあくまでも「パズルのかけらの一枚」だから。 書面での伝承は、世代間で長く優れた武術を伝承できる原因の一

          6回目:拳譜をやはり忘れて

          5回目:拳譜を一旦忘れて

          前回の最後触れた言葉は「白黒写真」だ。しかし、残念ながら古代、少なくとも太極拳が「発明」された時代には、写真がなかった。 武当山の道士たちは、延命のために、「太極拳」を研究したのか、それとも、陳家溝の農民たちは、保身のために、「太極拳」を研究したのか、伝承していく手段がないと、結局その研究は、一代で終わってしまうのだろう。写真がない時代、一体どうやって「忠実」に伝承が起きていたのだろう。 答えは、3つあると考えた。一つは、きちんとした文書での伝承。もう一つは、厳しい選抜制

          5回目:拳譜を一旦忘れて

          4回目:分科を一旦忘れて

          本日東京では2度目緊急事態宣言が発動された。東京の1日の感染者人数が2000人をも超えたが、理系人にとっては、特に意外ではなかった。だって、去年のグーグル社が出したAIの予測通りになっているだけ。AIがプロの囲碁棋士に勝てる21世紀では、こういう限定されたケースの予測(例えば天気予報)は、古代の占い師の予測ではなく、相当正確になるはずだが、政治家に真剣に参考されてないのは、残念だ。理系人の政治家がいないのかな。 まあ、ここで拾いたいのは政治家の対応ではなく、コロナ政策を検討

          4回目:分科を一旦忘れて

          3回目:スマホを一旦忘れて

          現代人はスマホをポケットから出せば、遠いところの人と会話できるし、調べることもできる。さらに写真撮ったりビデオを撮ったりすることもできる。それは古代人から見ると、魔法みたいな信じられない世界だろう。では、現代の理系人(ロマンチックな文系人を置いといて)は古代人のことをどう思う?遠いところの人とは手紙で連絡し、何ヶ月もかかる。本というものは貴重で、なかなか調べることができない。記録するためには、文字に落とさなければならないし、そもそも、識字率が低く、記録しようとしても書けない。

          3回目:スマホを一旦忘れて

          隣の太極拳1:Ian Sinclairさん(1)

          ハリーポッターでは魔法使いにしか見えない街がある。それと似たような感じで、現実世界にも「興味ある人」にしか見えないワールドがある。たとえば、タピオカミルクティー。興味ない人には、それはカフェラテ、抹茶のような、ただ一種類の飲み物だと思われがちだが、「興味のある人」には、何百ものタピオカミルクティーの種類がある。太極拳も同じ。興味ない人には、それはヨガや、柔術や、空手のような、ただ一種類の武術だと思われがちだが、「興味のある人」には、それは武当山、陳、楊、呉、孫、武、趙堡などの

          隣の太極拳1:Ian Sinclairさん(1)

          2回目:治世を一旦忘れて

          「治世」といえば、あの三国志で有名な曹操(そうそう)への評価に使われる「治世の能臣、乱世の奸雄(かんゆう)」以外は、あんまり現代日本人が使わない言葉だろう。でも現代日本人は、誰もが今の時代、特に今の日本は「治世」、すなわちよーく治まった平和な時代であることは、否認できないだろう。だって、夜の街でも女の子一人で安心に歩けるし、小学生が一人で電車に乗って登校している。何よりも、あっちこっち溢れている自動販売機が壊されないまま24時間冷えた飲み物を提供し続けていることこそ、西側先進

          2回目:治世を一旦忘れて