隣の太極拳2:Ian Sinclairさん(2)
前回からだいぶ時間が経ったんで、念の為復習してみましょう。
私はいろんな太極拳のYoutubeを見たが、一番紹介したいのは、やはりこの「Ian Sinclair」さんのチャンネルである。世の中で、「麻婆豆腐」の数ほど、太極拳の数がある。そして「麻婆豆腐」の数ほど、太極拳に対する「理解」や「信念」や「説明」がある。しかし、これほど自分の習ったところの太極拳への理解に通じ合うものは、あまり見たことがない。遠い国のどこかで太極拳を教えているこのIanというおじさんとまったく面識がないのに、なんか、親近感が感じる。とても不思議に感じる。
今回は、前回の続き、11話:The most important lesson for martial artists(武道家たちにとって一番重要な課題)を紹介しようと思う。
10:00から20:00までの内容の抜粋。
1,マーシャル・アーツ、つまり武道の第一原則、(まあ、あくまでも、Ianさんの原則だが)自分と自分は戦わない。それは「無極」で達成したい一つの成果でもある。それは所謂「静」(stillness)である。
2,自分と自分はまだ戦っている状態、つまり「静」でない状態で、相手と戦うと、それは戦う相手が一人だけでなく、自分も含めて二人以上になってしまう。
3,自分の内面のいろんな紛争を解決しないと、外部からかけられた脅威をうまく対応できない。(なんか哲学的というか、精神科っぽい感じもあるけど、ここは武道の話である)残念ながら、たくさんの人は、内面の紛争を解決するにはあまり努力してない。
4,外部からかけられた「攻撃」のいずれも、あなたの「静」もしくは「バランス」を崩そうとする。パンチでも、投げ技でも、最終目的は、あなたの「静」を破壊することである。重力とそれをサポートする力のバランスを崩すことである。
5,一方、「バランス」は崩される受動的な犠牲者だけでなく、攻撃として使う「武器」でもある。
6,持続的に「バランス」を維持できることができれば、他人にバランスを崩されにくくなるだけでなく、体全体が早く流れる重力の川のようになる。縦に流れる川のイメージで、滝に近い。相手の攻撃が滝に飲み込まれて、地面に流されるのだ。
7,その縦の滝の本体(体の中心の軸という理解でいいかも、幾何的な軸じゃないかもしれない)が細ければ細いほど、攻撃しづらくなる。
7,「ポン(扌朋)」というのは、上記の完璧な重力のバランスから生まれた力である。もし誰かあなたの軸にぴったり押してくるのなら、その人は、弾けられるのだろう。まるで、バスケットボールが地面に落ちて地面から弾けられるのように。この弾けられる力は、「ポン(扌朋)」である。
8,もしその人は、あなたの軸を外れて押してしまうのなら、その攻撃が横に転がるだろう。その転がりは「リー(扌履)」である。
この7と8のポイントは、私が習った太極拳流派での「扌朋」と「扌履」の解釈と非常に近いのだ。なんらかの動きや、用法ではなく、一種の現象や結果である。
9,もう一個わかりやすい例えは、水面に浮いている丸太。もし人間がちょうど丸太の浮力の軸の上に立っているのなら、うまくバランスがキープされ、人間が丸太(と水の浮力)に支えられる。人間が上下ジャンプしたりすると、丸太は上下バウンスするが、それがすべて浮力に返される。これは、「扌朋」である。もし人間が丸太の軸を踏み外したら、丸太が転がり、人間は水に落ちてしまう。これは、「扌履」である。
面白いことに、私の師匠や、師匠の師匠たちに、昔似たような表現を私に教えてくれたことがある。一つは、できるだけ自分の「芯」を細くすること。これは、Ianさんの川の幅を狭くすることと同じだろうと思う。「芯」が細くすることによって、相手は自分の「軸」に当てることがより難しくなり、「扌履」されるだろう。
もう一つは、「扌朋」「扌履」「扌斎」「按」は、工場の工作機械のローラーみたいなものであること。違いはただローラーの軸を縦にするか、横にするか、上に転がすか、下に転がすか、両サイドに転がすかである。これは、丸太の例えと非常に似ているだろう。これは、師匠の師匠は、大昔工場で道具加工の仕事をしたがあるから、影響された発想かもしれない。
もちろん、世の中にいろんな「扌朋」「扌履」への解釈がある。それぞれの道がある。すべての道がローマに通ずと思うが、この理系人が研究している太極拳や、Ianさんの太極拳は、あくまでもその中の一つの「道」である。
問題はどちらが先につく。笑。人間って、寿命に限りがあるだから。