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13回目:「五行」を一旦忘れて

理系人の最終形態というと、「科学者」である。文系人の最終形態というと、おそらく「哲学者」だろう。両者には、意外に共通点がある。それはこの世界を解釈することだ。しかし、その違いも明らかだ。「科学者」は「創造」に拘る。自分の解釈を証明し、さらにその証明した解釈ベースで新しいものを作ることを目指す。それと対照的に、「哲学者」は「想像」にとどまり、証明しようがない。

二千年前の中国では、たくさんの「哲学者」と「科学者」が誕生された時期があった。所謂「春秋時代」の「百家争鳴」だ。孔子が代表とする「儒家」、老子が代表とする「道家」、韓非子が代表とする「法家」、と墨子が代表とする「墨家」が一番有名な御四家であった。「墨家」がいろんな巧妙な道具や機械を作ったりして、当時の「理系人」の代表であった。「法家」は法律による国家を治めることを主張し、法理による推理や法律にまつわる弁論など論理的思考なので、文系に近い「理系人」と言ってもいい。残念ながらその両方とも後の統治者に採用されず、二千年前の中国はルネサンスのチャンスを失ってしまった。

残りの「儒家」と「道家」はそれぞれ自然世界への解釈を提案したが、どちらも理系的には証明できない「仮説」だった。「儒家」は「天」というコンセプトで解釈し、「道家」は「道」というコンセプトで解釈する。「天」は西洋のキリストの神(ゴッド)に近い感じで、なんらかの意識を持つ超人的な存在だが、「道」はどちらかいうと自然界を支配したルールみたいなもので、特に意識がないようだ。どちらも「哲学」的な解釈で、「科学者」みたいに、証明しようもないものである。

「道家」にはいろんな流派があるが、その中で「五行」や「陰陽」の思想で世界を解釈する流派がある。西洋での四元説、世界が4つの元素「風」「火」「水」「土」で構成された説と同じ、「五行」は世界が5つの元素「金」「木」「水」「火」「土」から構成されることを主張している。4つも5つも、現代の元素周期表を見たら、足りないことは言うまでもないだろう。しかし、古代人は、この5つの元素をいろんなの形に変換して、いろんなものを解釈しようとした。人間の臓器には「五臓」、味には「五味」、方位には「五方」、音楽には「五音」、色には「五色」。現代人から見れば、「五臓」以外もいろんな臓器があり、「五味」の中の「辛い」は実は味覚ではない、「五音」以外も半音がある。世界を解釈するには、どうしても5つだけでは足りないだろう。

しかし、古代中国人は元素周期表という選択肢がなかった。だって「理系人」の「墨家」と「法家」は綻んでしまった。「儒家」は「子不語、怪力乱神」の教えがあり、解釈できないものは、語らない。自然現象など解釈できないことには当然「儒家」興味がないので、頼られるのは「道家」の「五行」説しかない。ニュートンの物理学と同じぐらい、当時では誰も信じていた。ということで、無理やり「拳法」についても、それに合わせて説明しようとする人が出てくるのもおかしくない。太極拳の中の歩法を五行に合わせて、「進」(前)「退」(後)「顧」(左)「盼」(右)「定」(真ん中)の5つを作り出した。実際足の動きのパターンは、いろんな方向が可能となり、5つ以上にあるだろう。実際「呉式太極拳」では45度(四隅)の回転もあるから、全部8方向になり、5つだけではカバーできない。

そもそも、5という数字に拘るのは、たぶん人間の手に5本の指があるから。もし6本の指が普通だったら、「六行」説が作られるかもしれない。ということで、現代人が太極拳を習うには、「五行」に無理やり拘る意味がほぼないだろう。


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