11回目:「政権」を忘れないで
優雅で囲碁のような余裕のある「楊露禅系」「太極拳推手」、これはこの理系人が研究したい課題である。これ以外の「推手」や「太極拳」は議論や探求の範疇ではない。つまり、「論外」だ。ここはやはり、理系の論文っぽく、はっきりさせなければいけない。だって、理論が適用する範囲を明確にするのが、理系人の考え方である。自分の理論が、なんでも、万物万人にも適用できるという考えは、まあ、悪質な商法や、新興宗教のやり方で、理系人のやり方ではない。
私が言っているほかの「太極拳」や「推手」というと、主に1949年以降のものだと考えていい。
ここまで、古武術の民間武装集団による進化や、太極拳の由来などを推測したが、時間が経つと共に常に進んでいくわけでもないことも触れなければならない。それは、政権の弾圧による古武術の「衰退」である。中国では、「儒は文を以って法を乱す、俠は武を以って禁を犯す」という帝王術の教えがある。統治者は民間の言論の抑止と民間の武力の抑止を常に力を入れている。この抑止について、一番有名なのは、おそらく漫画「キングダム」でも日本で有名な「信」という漢の時代の開国の武将「韓信」が、開国が勝利したあと、皇帝である劉邦に殺された歴史が一番有名だろう。日本人も馴染みがあるかもしれない。所謂「鳥尽弓蔵」、鳥がすべてなくなったら、鳥を撃つ弓はもう存在する価値がない。
中国では、民間武装集団への政権からの弾圧がひどくなったのは、1949年が境である。その年、大陸では、共産主義の中華人民共和国が成立し、台湾では、大陸から撤退した蒋介石が中華民国を続けた。大陸では権力が樹立されたばかりで、いろんな不穏な要素があり、民間での武力が特に気にしていた。それと同様に、台湾に行ったばかりの蒋介石も、庶民の反発を警戒し、民間の武力に厳しい取り締まりを行った。そのため、清の晩期から1949年まで盛んだ「太極拳」を含めたすべての伝統武術は、公に伝授できなかったり、巨匠が急に亡くなったりすることにより、だんだん失伝してしまった。
特に大陸では、孔子の家族のお墓から代々の子孫の遺体を掘り出すまで、孔子の教えが批判された。古い思想、古い文化、古い風習、古い習慣を「四旧」と呼ばれ、すべて悪いものとされていたから、「古代武術」もなおさら生き残すことが難しくなる。その上で、古いものがどんどん新しいものに作り直される動きも激しくなり、「改造」と言われた。1950年代、共産主義にふさわしい新しい「太極拳」を作ろうということで、「簡化太極拳」が作られた。面白いことに、この「簡化太極拳」を作ったのは、「太極拳」の巨匠たちではなく(当時楊露禅の孫はまだ生きていたし、ほか伝統太極拳5大流派の巨匠たちはまだ生きていたにも関わらず)形意拳が得意な李天驥氏であった。李天驥先生自身は、尊敬されるべき武術家で、この任務をやり遂げるためにも、身を削ったはずだった。なぜかというと、「鳥尽弓蔵」、国家がすでに安定しているから、格闘技という潜在的な危険をなくさなければならない。そのために、伝統太極拳の中から、格闘に関するものを取り除き、養生だけのものを残さなければならない。しかし、「伝統太極拳」の中の、格闘技としての一面と養生術としての一面は、なかなか分割できないはず。だって、前述「分科を一旦忘れて」で述べたように、古代の人は、目的を分けてものを考えてない、すべて一体同心であった。それは、例えば、鰹節や、豚骨からできたラーメンのスープから、「鰹節だけを取り除いてください」みたいなリクエストだろう。李天驥先生もこのミッションインポッシブルを相当悩んだはずだった。その取り除く作業は、結果、元のスープを全部捨てて、醤油ベースで作り直すことになるのだろう。
ということで、ここからの「新」「太極拳」はすでに前述最高峰に達した楊露禅氏の太極拳の伝承から外れてしまい、残念ながら伝統太極拳の伝承という意味で、「衰退」の道に入ってしまった。これは、もちろん李天驥先生が望んでいたことではないが、「政権」の意図を拳法にも反映させなければならない時代の悲劇でもあった。もちろん、体を動かす自体は悪いことではないから、「簡化太極拳」でもラジオ体操同等の効果が期待できるのではないかと理系人の私は思うのだ。(Youtubeでたまには、「簡化太極拳」から伝統武術の発勁や、格闘技術を悟った人の動画を見かけたりするが、それは、まるで醤油スープから、豚骨スープに変えたような「奇跡」としか思わない。ノーベル賞取れるほど、すごいと思う。)
一方、台湾では、大陸みたいに新しい「太極拳」を作り出す真似はしなかったが、蒋介石氏の弾圧により、武術家もうまく伝承を見つからず、「中国伝統武術」の暗黒期とも言えるだろう。
そして、1972年から日中国交正常化ができ、パンダと同時に、「新」太極拳も外交正常化とともに、官民両方の経路から、日本に伝わってきた。当時は、まだ何人か巨匠たちが生きていて、政府系の文化交流で一緒に日本に訪問してきたりした。巨匠たちは、たしかに、「神業」などを披露したりしたようだが、それはあくまでも、彼らが昔から練習してきた「楊露禅系」「太極拳」の結果で、1950年代から作られた「新」「太極拳」とはあまり関係がないことは、誰も説明してくれなかっただろう。
カリフォルニアロールと江戸寿司の違いで例えれば、わかりやすいかもしれない。笑。いや、逆にわかりにくいのかもしれない。