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14 回目:「八卦」を一旦忘れて

「五行」よりは「八卦」のほうが、実はもっと格が上の仮説である。なぜかというと、「四書五経」と言われる「儒家」のバイブルの一つである「易経」に記載された説だ。これは、歴史を考えると、老子の「道徳経」より遥か前の時代にすでに信仰された仮説で、世界を解釈し、さらに予測しようとする。現代人がわかりやすい言葉に訳すと、「占い」。

人間は知らないものから、不安を感じる。現代人のように、科学技術が発達しているから、なんでも世界を改造できる傲慢ぶりは悪いことかもしれないが、古代人の科学技術の欠落による何でもコントロールできない無力さもいいことではない。天変地異、水害旱魃、自然の前では、古代人は弱い。でも、せめて「コントロール」できるよって言い聞かせて安心させたい。それは、占いが盛んだ理由であった。

「八卦」は占いの一種として、優秀である。なぜかというと、「理系」ぽい。2という数字をベースに、二乗を利用して、両儀、四相、八卦、さらに六十四卦のパターンですべてのことを予測できるようになると言われる。ただし、いくら「理系」っぽく見せても、中身は「哲学者」の「仮説」と変わらない、それは証明しようがないことと、「仮説」ベースで新しいものを作り出すことができない。「八卦」がわかるから、ロケットを作れるわけがない。同じように、「八卦」がわかるから、「太極拳」を作り出すこともありえない。

個人的には、先に「外家拳」ができて、それに「内家拳」へ進化し、「内家拳」から「太極拳」が集大成になるという「進化論」っぽい説が理系人的に筋が通ると思いたい。「外家拳」ができたのは、どの時代か定かではないが、「達磨東渡説」がほんとでしたら、おそらく南北朝の紀元500年ごろだろう。そして「内家拳」を最初に概念として提唱したのは、明の学者黄宗義で、彼の書いた「王征南墓誌銘」の中で、初めて王征南という武人が「内家拳」を習ったことを言及した。彼の記述によると、「内家拳」は宋の時代の武當山の道士「張三峰」が由来であるようだ。それは紀元1200年ごろになる。そこから、さらに王宗岳が「太極拳」を名付けたであれば、それは清乾隆時代で、紀元1700年ごろの時代になる。1000年以上の変化が経って、初めて「太極拳」という形になる説と、パッと誰か一人が、「八卦」や「五行」の思想をベースに作った説、どちらを信じるか、あなた次第だが、理系人の私には、前者が有力だと思う。

古代人の「太極拳」の論説では、手や上半身の動きを、8つの「勁(けい)」に分類して、それを「八卦」だと主張されたが、理系人から見ると、後付感が満載だ。なぜかというと、「五行」で5つの元素で、世界を構成される100以上の元素を表すのは無理のあるように、「八卦」の8つのパターンで、拳法の上半身の無限な変化をすべて記述することも、無理があるし、できるとしても、ちょうど8つなの?という偶然も信じられない。

では、この古代人の「五行」と「八卦」をさんざんバカにしている「理系人」はいったい「太極拳」を現代人のわかりやすい理論で解釈できるの?

できる。

でも、次回からです。笑。

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