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【京都の駒札76】角屋(すみや)

 角屋は江戸時代に繁栄した旧花街かがい・島原を代表する揚屋あげや(現在の料亭)で、明治時代にお茶屋業に編入された後も、昭和六十年(一九八五)まで営業が続けられた。
 島原は、我が国最初の官許の花街で、当初は二条柳馬場に開かれ、その後、六条三筋町に移転し、更に寛永十八年(一六四一)にこの地に移された。正式な地名は西新屋敷というが、急な移転騒動が、当時の九州で起こった島原の乱に似ていたことから、島原と呼ばれるようになった。
 島原には、揚屋あげや置屋おきやがあり、揚屋は太夫・芸妓などを一切抱えず、置屋から太夫等を呼んで宴会を催す場であった。
 角屋の建物は、揚屋建築唯一の遺構として昭和二十七年(一九五二)に重要文化財に指定された。また、円山応挙・与謝蕪村など、当時の一流画人の作品を多く蔵し、蕪村の大作「紅白梅図」は重要文化財に指定されている。
 江戸中期には、俳壇が形成されるなど文化サロンとしての役割も担い、また、幕末には西郷隆盛・久坂玄瑞くさかげんずいなどの勤王の志士たちが、軍用金調達のために時の豪商を招いて会議を行い、彼等を探し求めた新撰組が乱舞した場所でもあった。
 こうした江戸時代の社交遊宴文化の余香を今に伝える角屋は、現在「角屋もてなしの文化美術館」として一般に公開されている。

2015年1月3日撮影


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星野雅彦
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