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【京都の駒札㊿】曼殊院門跡(まんしゅいんもんぜき)

 最澄が比叡山に建立した一坊を起こりとする天台宗の寺院で、青蓮院しょうれんいん、三千院、妙法院、毘沙門堂びしゃもんどうと並ぶ天台宗五箇室門跡の一つに数えられる。門跡とは皇族や摂関家せっかんけの子弟が代々門主となる寺院のことで、当寺では明応めいおう四年(一四九五)に、伏見宮ふしみのみや貞常さだつね親王しんのうの子、慈運じうん大僧正が入手したことに始まる。
 初代門主の是算ぜさん国師こくしが菅原家の出身であったことから、菅原道真を祭神とする北野天満宮との関係が深く、平安時代以降、明治維新に至るまで、曼殊院門主は北野天満宮の別当職を歴任した。
 数度の移転を経た後、天台座主ざす(天台宗最高の地位)を務めた良尚りょうしょう法親王ほうしんのうにより、江戸初期の明暦めいれき二年(一六五六)に現在地に移された。良尚法親王はかつら離宮を造った八条宮はちじょうのみや智仁としひと親王しんのうの子で、父宮に似て、茶道、華道、書道、造園等に優れ、大書院や小書院(ともに重要文化財)の棚や欄間、金具など、建築物や庭園の随所にその美意識が反映されている。
 大書院の仏間には本尊の阿弥陀如来立像が安置され、小書院の北側には、八つの窓を持つ明るい茶室、八窓軒はっそうけん(重要文化財)がある。優雅な枯山水庭園は国の名勝に指定されており、寺宝として、「黄不動」の名で知られる不動明王像(国宝)を蔵するが、現在は京都国立博物館に寄託されている。

2021年1月6日撮影


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