
【京都の駒札77】新選組発祥の地(八木家)
ここは、幕末の頃、京都の浪士取締りや治安維持に活躍した新選組の屯所があったところである。
文久三年(一八六三)春、第十四代将軍、徳川家茂の上洛警護のため、清河八郎率いる浪士組が入洛したが、その宿舎の一つとして使われたのが、当時壬生村の郷士宅であった八木家の屋敷であった。
清河ら浪士組のほとんどは、在京二十日余りで再び江戸に戻ったが、当所に分宿していた芹沢鴨、新見錦、近藤勇、土方歳三らは、引き続き京都の警備のため残留し、京都守護職、松平容保(会津藩主)の配下に属して新選組と名のった。
当初新選組は、当屋敷に「新選組屯所」の標札を揚げ、隊士はわずか十数人であったが、次第に隊士が増え付近の屋敷にも分宿した。以後、市中のちあん維持に勤め、元治元年(一八六四)の池田屋事件では、クーデターを起こそうとしていた過激な長州藩士らの一派の計画を未然に防ぎ、一躍その名を洛中に轟かせた。
翌年の慶応元年(一八六五)四月、新選組屯所は西本願寺に移され、翌年には更に南の不動堂村(京都駅北西)に移り、鳥羽・伏見の戦いの直前には伏見奉行所に入った。

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