【京都の駒札55】安居橋(あんごばし)
安居(あんご)の名の由来には、諸説があります。
一説では、鎌倉時代より八幡の町ぐるみで行われていた安居神事から名付けられたと言われています。
また、かつてすぐ川下にあった「五位橋」に相対する仮の橋として造られたため「相五位橋(あいごいばし)」と呼ばれ、これが変化して安居橋とよばれるようになったとの説もあります。
江戸時代はじめには、この場所に橋が架けられていたことが古絵図で確認できますが、構造は反り橋でなく、平橋で描かれています。
元禄七年(一六九四)には、「安居橋の月」が八幡八景のひとつとして選ばれ、数々の歌が詠まれています。
慶応四年(一八六八)一月、鳥羽伏見の戦いで焼失しましたが、古くから「高橋」という反り橋(太鼓橋)が約一五〇m川下にあったことから、この高橋を偲ばせる形で再興されました。
現在は石清水八幡宮の神事である石清水祭(放生会)の舞台として親しまれています。