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「あきちゃんの枝豆を食べると幸せになる」

 農家の娘が、秋取りの枝豆を収穫して
なじみのレストランに食べてもらったら、
「あきちゃんの枝豆を食べると幸せになる。有り難う」と言われた。
 これ以上の褒め言葉はないだろう。
 農家にとって、これ以上嬉しい言葉はないのじゃないだろうか。
 
 だが、こういう感謝の言葉が農家に届くことはどれだけあるだろう。 
普通、農産物は、農協に集約され、流通業者を介して小売店に並ぶ。
一方、消費者は、自分の買う米や野菜を、どんな人が作ったのかなんて、
ほとんど考えない。見た目の良さや値段だけで買うものを選ぶ。
 
 私自身、ずっと、それが当たり前だと思ってきたのだが、娘が野菜を作るようになって、何も知らないのだということを知った。
 野菜の形は、味や品質とは何の関係もない。
 それなのに、形や大きさでA品、B品と格付けされ、店先には基本、
A品だけが並ぶ。また、加工メーカーが加工しやすいよう機械の規格に揃えているという面もある。B品は、買い叩かれるか廃棄される。
 野菜本来の味を引き出すために農薬の使用を抑えると、どうしても虫がついてしまう。だから、虫がついているのは、その野菜が美味しい証拠だと言ってもいいくらいだが、虫に食われた葉物は商品にならない。

 でもこれは、考えてみると妙な話だ。食べるものなのに、味や品質より
見た目を重視して、廃棄までしているのだ。
それは、生産者としての農家のプライドや、本来の味のする美味しいものを食べたいという消費者のニーズより、スーパー等の販売戦術や加工メーカーの都合を優先しているからだろう。
 
 こんな奇妙なことが通用しているのは、スーパーやメーカーの発言力が
大きくて、農家なり生産者と消費者との間が切れているからだ。
 娘とレストランのように直接つながっていれば、あのお客さんのために
美味しい野菜を作りたいという気になるだろうし、
うちの店の食材には、あの農家の野菜を使いたいという気になるだろう。

 持続可能な農業とは、こういうものではないか。
 社会の大勢からは外れているようだが、嬉しいことに、地域では、
こういうつながりが、少しづつ広がっているらしい。
 スーパーのなかでも、美味しいと感じる食品を厳選し、これは生産者が手間暇かけて栽培したものだから、米や野菜の本来の味がするんですよ、と宣伝しながら売っているところがある。
 こういう取り組みが更に広がっていけば、社会のみんなが、
もう少し生き生きと、楽しく生活できるようになるかもと思うのである。

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